年のはじめのつまづき

 

20181231_111056.jpg年末に事務所ニュースのために書いた原稿の一つは「繰られる民主主義」という本の書評でした。本の中から一部を引用してみよう。

「テクノロジーが進歩した結果、拒みようもない恩恵とこれまで以上の個人の自由は得られた。だが、それと引き換えに、政治システムを機能させる根源的な要素の多くがむしばまれていくのを私たちは許してしまった。その要素とは、政府の支配力、議会主権、経済的平等、市民社会、正しい情報を判断できる市民の存在である。」グーグル、スナップチャット、フェイスブック、ツイッター、インスタグラム等々は、「その収入の約90%を広告収入が占めている」「このような交換つまり個人データと無料サービスの交換を通じ、私たちは、ある種の契約を交わしている。…ひそかに監視させることを認めれば、相手はすばらしいサービスをただで提供してくれるのだ。」
「十分なデータを用い、人間の心の謎を読み解き、なおかつ影響力を行使する考えはおそらく今日のシリコンバレーを支配する哲学なのだろう。」

と、このようにデジタル・テクノロジーの問題について述べた本の書評を、事務所ニュースに書きながら、年の初めからそのデジタル・テクノロジーで躓いてしまった。

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というのは、FB(フェイスブック)で、新年の挨拶を投稿しようとしたところ、どうしても、これがうまくできないのだ。

第1に、投稿する文章を「今なにしてる」の画面で入力し、そのあと、「画像・動画」をクリックして、パソコンに取り込んだ写真(ピクチャ)を取り込んで投稿する文書を完成させようとしても、なぜか文書と画像を同時に一つの画面に取り込むことができないのだ。というか、そのようにして文書を完成させて、投稿しても、なぜか文章だけが公開されたりしていて、画像はどこかに消えてしまっているのだ。

第2に、その画像の取り込みも、ピクチャでの保管では、きちんと上下左右が誤りないのに、そこからFBに取り込むと、なぜか「右回転(または左回転)」した画像になってしまい、それをFBの画面上で直す方法がわからないのだ。

第3に、これが最も重要なのだけど、画面上で投稿原稿を完成させた後、それをどうすれば投稿できるのかが、わからないのだ。というのは、事務所のパソコンでは、投稿文書を完成させると、その一番下に、友達だけへの公開なのか、無制限公開なのかの振り分けをした上で「公開」とでてきて、そこをクリックすればそれで終わりなのに、こちらのパソコンでは、それが出てこないのだ。だから、なにやらわからないまま、あちこちクリックしたりしていて、偶然公開できていたりするという有様で、何をしたから公開できたのか、いまだにわからないのだ。で、そのため、偶然投稿できた新年の挨拶は、画像が消えたままだし、誕生日祝いへのお礼の投稿は、未だに公開できないままというありさまなのだ。

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どこやらの大臣が、自分ではパソコンを使わないと発言して問題となったが、これでは、私も、同じようなもので、FBの読者の皆さんには数々の失礼をしているのに、お詫びもできず、代わりにこちらのブログのほうでお詫びさせていただく次第です。

それにしても、FBの入力方法が、事務所とこちらとで明らかに違うように思えるけど、FBのバージョンが最近変わったのだろうか?

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年の暮れに

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じじ:今年も残すところあと明日1日か。
ばば:早いよね。
じじ:あっ!ほら。鹿だ!
ばば:ほんと、ずいぶんいっぱいいる。1、2、3…と、14、5頭いるんじゃない?
じじ:だね。
ばば:今日は、これで3つめの群れだけど、年末だから、大盤振る舞いで出てきてくれたのかしら。
じじ:そんなことはないだろうけど、禁漁区になっているから頭数が増えているんだろうね。
ばば:そのうち、私たちの散歩について一緒に歩いたりしてね。
じじ:ふふ。それで、馴らしてしまって、手綱をつけて背中に乗って山の中を駆け回ったりしたら、マスコミが大騒ぎして、ネットが大炎上だろうね。きっとくそみそに言われるんだろうね。
ばば:「野生の鹿を馬代わりにする、正真正銘の馬鹿じじい登場」なんていって、この山の中にテレビ局の車が押し寄せてきたりしてね。
じじ:それは困る。せっかくの静かな自然が台無しだ。

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ばば:馬鹿な話は、おいといて。
そういえば、10月にじじが事務所旅行で、ここに来たでしょ。
じじ:うん。
ばば:でね、じじがいないからって、2人でMちゃんを呼び出して一緒に食事に行ったのよ。Mちゃん、今、夜の居酒屋勤務のほかに、もう一つバイトやってがんばってるでしょ。
じじ:うん。3人の子を抱えて本当に大変だよね。
ばば:Mちゃんの子ってね。Mちゃんが仕事に出ようとすると「ママ、がんばって、気をつけて」って、毎回、毎回言ってくれるんだって。
ダブルで働いても、3人の子を抱えてるから、いつもいつも、ギリギリで、この前会ったときも、ここ何日か、もやしだけで過ごしていたって。だからね。子供たち3人をつれて、焼き肉やに行って、思う存分食べてもらったあと、今度は、お菓子やに行って、子供たちに、「自分の好きなものを好きなだけ買っていいからね」って言って、一つづつ籠を持たせてやったの。でも、一つ籠に入れては、私の顔をみるのよ。だから、もっといれていいのよ。ほらまだこんなに籠が空いてるでしょ。って言うと、いいの?ってうれしそうにしてまた入れてね。そうやって、たっぷり買ったんだけど、精算するときに、二番目の子は、私の財布を覗きながら「大丈夫?」ってすごく心配そうな顔をするのよ。Mちゃんそれを見てて「私がいけないのね。いつも子供たちと買い物するたびに、財布を見て、”1000円しかない。足りるかしら?”なんてつぶやいてるから、そういう私の姿をいつも見ていて、こんな風になってしまったのね。」って。
じじ:でも、Mちゃんの子たち、みんな本当にいい子に育ってるよね。
ばば:そういえば、じじがMちゃんに手紙出すとき、いつも「ひげのおじちゃん」って出してるでしょ。
じじ:うん。
ばば:それでね、子供たちが「おひげのおじちゃん」からの手紙をとっても、楽しみにして待ってるんだって。
じじ:どうして?
ばば:手紙の封筒に貼ってある切手が、いつも、とっても可愛い絵柄の切手なんだって。Mちゃんは「おじちゃん、子供たちのこと考えて、いつも珍しい切手を貼ってくれてるんだ」と思っていたというのよ。
だから、私言ってやった。
違う、違う。そんな気を回してくれるのは、事務所の事務員さんよって。
じじ:そうだね。ありがたいよね。そうやって、心を寄り添わせてくれるのって。
Mちゃんにとっても、子供たちにとっても、今はとても苦しい時期だろうと思うけど、ばばみたいに、そんなMちゃんや子供たちのことを考えて何かと力になろうとしてくれる人がいたり、小さなことのように見えるけど、子供たちの喜ぶ顔を思い浮かべながら切手を貼ってくれたりする人がいるということが、子供たちがいい子に育っている理由なんだろうね。