いま、この国に必要なこと

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思い返して見てください。想像してみてください。71年前の今、つまり、昭和20年4月の今頃、日本と世界がどのような状態だったのか。
1夜にして10万人の人々が焼き殺された3月10日の東京大空襲をはじめ、全国各地に焼夷弾の雨が降り注いでいました。
南の島々では、赤紙1枚で召集された何万何千もの兵士たちが、食糧や弾薬、医薬品の補給も途絶え、飢えとマラリアに苦しみながら密林の中をさまよっていました。
沖縄やグアム・サイパンなどでは、住民たちが自決を強いられて、次々と爆死したり崖から身投げしたりしていました。
他方、ハルピンの防疫給水部(731部隊)では、戦況が悪化してもなお、マルタと呼ばれた捕虜たちに対する残虐な人体実験が続けられていました。
国内各地の炭鉱や工場では、朝鮮や中国から強制連行された労働者たちが、奴隷的労働を強いられていました。
戦地の慰安所では、慰安婦にされた少女たちが、戦況の悪化と内務班での非人間的な仕打ちに鬱積し、すさんだ兵士たちの気持ちのはけ口にされて連日連夜、蹂躙され続けていました。
そして、こんな愚劣な戦争に反対する良心を持った国民は、治安維持法や軍機保護法などによって、ねこそぎ監獄につながれていました。
日本の起こした侵略戦争が断末魔の時期を迎え、それが、どれほど無謀で愚劣で非人間的なものであるのか、その事実が誰の目にも明らかになっていった時期が、71年前の今頃なのです。それでもなお、頑迷な軍国主義者たちは、戦争をやめようとはせず、その結果、沖縄の悲劇や、ヒロシマ・ナガサキの被爆という惨事を招いたのです。
戦後、私たち日本国民は、こうしたことへの痛切な反省に立脚して徹底した平和主義の立場を貫く日本国憲法を定め、平和国家としての道を歩んできました。
日本国憲法は、私たち日本人が、2度と再び、あのような誤りを犯さないようにする砦なのです。この砦に守られて、私たちは、戦後71年間、1度も戦争をせず、1人も殺さず、1人も殺されることが無く、平和な国民として世界の人々の信頼を受けながら過ごしてきました。
ところが、今、この大切な砦を破壊する動きが急速に進んでいます。
あの戦争を、「アジア解放のための自存自衛の聖戦だった。」「日本は、戦争犯罪はしていない。」「従軍慰安婦や南京虐殺は事実ではない。」と主張する人たちが、政権を握り、この国をもう1度戦争の出来る国にしようとしているのです。
大本営を復活させる日本版NSC、軍機保護法を踏襲する特定秘密保護法、憲法9条を骨抜きにして、自衛隊の海外での武力行使に道を開く安全保障関連法。
これらは既に成立してしまいました。
そして、次に予定しているのは、緊急事態条項を盛り込む憲法改正です。その正体は、憲法を凍結して、首相と内閣が、専制的な権力を振るえるようにする仕組みを憲法の中に仕込むものです。

ある日、突然、「首相が緊急事態宣言を発令した」というニュースが飛び込んできます。南スーダンに派遣されていた自衛隊が武力衝突し、それを「我が国に対する外部からの武力攻撃がなされた」と首相が判断したための緊急事態宣言です。
宣言が発令されると、首相は、地方自治体の首長に対して命令権を持つようになり、さらに、何人も宣言に基づく公的機関の措置すなわち命令に従わなければならないことになります。
こうして、テレビも新聞もラジオも、政府の報道統制の下に置かれます。ネットも不都合な記事は削除されます。
各自治体の首長の部屋には、首相の命を受けた自衛隊員や公安警察官などが乗り込んできて、首相の命令に従った行動を取るよう強制を始めます。
国と国民の安全のために必要だとして、物資や土地の収用が行われ、場合によっては勤労動員がなされます。
こうした動きに反対しようとする人々は、憲法違反だとして拘束されてしまいます。
もし、緊急事態条項が成立してしまうと、こういうことが起こり得るのです。

止めなければなりません。なんとしても、止めなければなりません。こんな乱暴が許されているのは、小選挙区制で、5割に満たない3割とか4割の相対的な多数政党が7割という絶対多数の議席を占めることが出来ていることによります。
だからこその野党共闘なのです。だからこその総がかりなのです。相対少数であっても、一丸となるなら、多数になることが可能だからです。
一丸となることで、「どうせ、無駄だ。勝てない」と思っている人々が、「勝てるかもしれない、勝てる」という希望を持って投票行動に動くなら、例えば、先日の北海道の選挙で、浮動票の多数は、野党候補に投票したように、7+5+4+3+2は、21ではなく、浮動票や、更には、これまでの選挙ではあきらめて棄権していた40の中から必ずや更にプラスが出るからです。
総がかりでそれを掘り起こしましょう。あらゆる世論調査でも、安倍政権に反対の意思を示す国民が過半数を占めているのです。
ならば、その過半数の国民の声を総がかりでぶつけようではありませんか。

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これは、3年前の4月、地元で開かれた集会での私のスピーチです。この考え方は、今でも間違っていないと思います。しかし、この3年の間の運動を通して私は、こうした情勢認識に加え、もう一つ重要な問題の存在に気付いてきました。 それは、上記のような認識を持って、そうした反動の流れを食い止めようとする運動を進め、それに参加する人々と、それ以外の人々との間の高い壁の存在です。現在「国民の分断」は、アメリカをはじめ全世界で指摘される共通した現象となっています。私が問題にする「壁」で国民が分裂している事実も、分断ということができるかも知れません。しかし通常、分断という切り口で語るときには、壁の向こう側とこちら側その2つのグループの中身の違いが語られます。中身の違い、思想や意見の違いが、壁を作り、分断を生み出しているのです。
ところが、ここで私が問題にしたいのは、そうした通常の意味での分断とは違う壁のことなのです。それは、中身の違いは、おそらくそれほど無いはずなのに、国民を2つに分け隔ててしまう壁についてなのです。「中身の違いがそれほど無いはず」というのは、たとえば、個々の問題でアンケートを取ると、ほとんどのテーマにつき、政権に反対する意見が多数をしめているという事実が示しています。このことが示しているのは、国会前で声を枯らして政権批判をしている人たちと同様、アンケートに政権支持の回答を書いている人たちの多くも、個々の問題では、政権のやり方に批判的意見を持っているということです。それなのに、選挙になれば、自公に投票するのは何故なのか。
そのことについて、私は、地元の憲法学習会(江戸川憲法を読む会)の今月号のニュースに、「40%の壁」と題して書きました。 そこに書いたことを少し敷衍しつつ、以下に記します。

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40%の壁
今、ほかのどんなことよりも、なによりも、最も重要なこと、私たちが全力を挙げて成し遂げなければならないことは何でしょうか。
森友・加計問題、原発再稼働、辺野古埋め立て強行、安倍・麻生道路の建設加速、公文書改ざん・廃棄、アメリカの兵器爆買い、露骨なマスコミへの圧力・介入、NHKの自民党広報部化、司法の私物化、友達のレイプもみ消し、国会軽視・強行採決オンパレード、「失言」大臣、暴言議員や暴言大臣、嘘・嘘・嘘のオンパレード…などなど、数え上げれば切りがありません。
かっての日本では、この内の一つでも、内閣は吹っ飛びました。
なのに、いまこの国では、これだけ数え切れないほどの深刻な問題が起こっているのに、内閣支持率は40%前後のまま、変わりません。
ですから、冒頭の「いま、最も重要なことはなにか」という問いに対する私の答えは、敢えて誤解を招くような言い方をすると、こうしたことを取り上げて安倍政権批判の運動を創り上げていくことは重要だけど、それは、これまでと同じ顔ぶれが、同じやりかた、同じ運動のつくりかた、同じ語りかたをしていくのでは、意味が無いのだということを、本当に真剣に受け止め、そのことについて考え、回答を見つけていくことにほかなりません。
私は、「意味がない」とわざと刺激的な言い方をしました。それは、安倍批判をすることよりも、その前に、40%支持率が何故崩れないのかということを直視し、その原因をはっきり捉えて、それに対する有効な手立てを考えることこそ優先されなければならないのであって、それなしにいくら安倍批判を繰り返しても、それは40%の壁に軽々と跳ね返されるだけだと思うからです。40%の壁の正体は、政権批判をする私たちのこれまでのやりかた、語り方、組織作りの仕方、運動の進め方等々が「嫌い」で、そういう方法で近づこうとするものには「見ざる聞かざる」になってしまうという人々の存在ではないかと思うのです。「嫌い」というより、むしろ「アレルギー反応を起こしてしまう」と言った方がより正確かもしれません。かって、薬害エイズの闘いで、訴訟の終盤になって、若者を中心に、被害者支援の運動が一気に盛り上がりました。そのとき、若者達は、「シュプレヒコール!」というかけ声や、労組などによって林立される赤旗、あるいは「デモ」という用語に、アレルギー反応のような拒否感を示しました。そういう若者たちと、私たち60年代、70年代の反戦平和運動になじんでいる者たちとの間にあるのは、方法論の違い・表現法の違いだけであって、薬害エイズに対する思想や意見には何の違いも無いのです。それなのに、これまでの「活動家」たちが、これまでと同じやりかたでデモと言い、赤旗を林立させ、シュプレヒコールと叫ぶ途端に、若者たちは、さーっと潮が引くように、散ってしまったのです。それと同じことが、いま「40%の壁」として、私たちの前にあるのです。それは、おそらく、これまでの各種運動の官僚主義的な態度、教条主義的な態度、あるいは、安田講堂事件や、浅間山荘事件や、企業連続爆破テロ事件などに象徴される誤った暴力的な運動の記憶などなど、そうしたものが一般国民にすり込まれてしまった「負の記憶」と、シュプレヒコール、デモ、集会、闘争等々という言葉がリンクしてしまうためではないかと思うのです。ネトウヨの「ぱよく」という揶揄の言葉が、決してネトウヨと同じ思想ではない一般の人たちにも浸透している背景にあるのは、この部分での共感ではないかと思うのです。物まね番組で、神無月が、テレ朝の玉川キャスターを取り上げ、「上から目線」と表現し、どっと笑いを取ったというエピソードがあります。玉川氏本人は、後日の番組内で、「自分は決して上から目線のつもりはないんだけどなぁ」とぼやいていました。かく言う私も、玉川氏の普段の発言を上から目線と感じたことはありませんでした。しかし、そこに問題の深刻さがあるのだと思います。私も、玉川氏も、「上から目線」とは全く感じていなかったこと。その同じことが、神無月氏がものまねで「上から目線」と指摘した途端、どっと受けたという事実。ここに、私や玉川氏が気付いていない、「上から目線」と一般の国民に感じさせる話し方や振る舞い方があり、それが、壁をつくっているということだからです。

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相手は、電通や、吉本興業や、プロのシナリオライターなどを駆使して、時におもしろおかしく、時に、涙の感動ミニドラマ、時に、勇壮なヒーロー物語、時にアイドルやアニメっぽいキャラの起用などなど、手を変え品を変えて、一つの方向に国民を誘導するイメージ戦略を展開しています。決定的に重要な事実は、これに対抗するこちらがわの戦略が皆無だという事実なのです。連日国会前で声を挙げる人々や、各地で粘り強くデモや集会を開く人々がいるのに、「皆無」というのは、それらは、まだまだ、これまで同様の言葉・語り口、方法等々で直球で政権批判を展開するものだからです。これでは、闘う前から負けています。
例えば、吉田羊とドリカムを使ったオリンピック盛り上げのCMの前では、「福島の現状を考えたらオリンピックなどやめてしまえ」という真っ当な声などドンキホーテにすらなれず、黙殺され、掻き消されてしまいます。
まずは、40%の壁の人たちに黙殺されず、「おっ!何だこれ」「おもしろい」と感じてもらえるような表現スタイルや、運動のスタイル・方法をみつけることです。このことの重要性は、百万遍繰り返しても足りません。

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放蕩総理とシャイロック

クミさんは、14歳、11歳、9歳の育ち盛り、食べ盛りの3人の子を抱えるシングルマザーです。夫とは、夫のDVや借金などを理由に昨年離婚しています。 ところで、別れる時、クミさんは、婚姻中に夫がクミさん名儀のカードを使うなどしてつくった合計400万円近い借金をかかえていました。私は、夫に、これはあなたが造った借金なのだから、と夫の責任で返済するよう求めたのですが、夫は、サッサと自分だけ破産手続を取ってしまい、このため、400万の借金は、クミさん1人の肩にのしかかってくることとなりました。
私は、クミさんに、自己破産を勧めました。しかし、クミさんは、「借金を踏み倒すようなことはしたくない。」と自己破産申立に同意しません。やむなく私は、クミさんの実情を率直に伝えながら、各債権者と交渉し、示談をまとめてきました。
ところが、債権者の内、三●住●カードだけは、私が提示した和解条件を受け入れず、債権総額の返済を求めて譲りません。
破産してしまえば、免責で1銭の回収も出来なくなることは明らかなのに、そして、現在のクミさんが、3人の子を抱えて、昼の掃除婦と夜の居酒屋ホールの仕事という二重生活をして、ようよう子ども達を食べさせているという実情であることも知りながら、更には、それがクミさんの借金ではなく、別れた夫の借金であることも知りながら、「びた一文まけられない」というのです。3度3度の食事の費用もままならず、時には、数日続いてインスタント麺という生活を送っているクミさんとその子ども達から、そのインスタント麺すら取り上げようというようなものです。シャイロックかお前は。そう言いたくなる冷酷さ、頑なさです。サラ金規制法ができて、以前のようなサラ金地獄は無くなったと思われています。しかし、一方では、何百億円ものお金を湯水のように使って、無用な戦争道具を爆買いしている首相がいるこの国の、これがもう一方の紛れも無い現実なのです。20190512_161852 (2)