じじとばばの会話 壊れていく日本

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じじ:ねえ、これひどいよね。
ばば:何が?
じじ:ほら、毎年、新品のまま捨てられる服が10億着だという記事。
ばば:えーっ!それを全部配ったら、国民1人あたり毎年10着の新品の服を着れるということじゃないの。
じじ:そういうことだよ。
ばば:だから、わたしは、服なんて、1着1,000円のシマムラの服で十分だっていうのよ。ブランドだのなんだのって、つまらないことばかり言っているから結局、こんなに大量の資源の無駄を生み出すことになるのよね。
じじ:そうだね。でも、このニュースが示しているのは、資源の無駄ということだけじゃない。
ばば:ほかに何があるの?
じじ:こんなに大量の余剰の服が生産されているということは、そのかげに、安い工賃で大量の服を製造させられている労働者たちがいるということだし、10億着もの服が捨てられるということは、そうした労働者たちの10億着分の労働の成果が、どぶに捨てられているということでもある。
ばば:そうね。資源の無駄使いだけでなくて、人間(労働者)の無駄使いでもあるのね。

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じじ:労働者をそうやって低賃金でこき使って、その命をすり減らしている一方で、これだよ!
ばば:うん。私もこれを読んで本当にあきれかえってしまった。1年1億円を超える報酬を受け取っている役員が500人以上って、何なの?ソフトバンクのこの人なんか1年103億円だというんだから、言葉を失うよね。
じじ:それだけの報酬を支払えるだけの利益を上げているというなら、それは、この会社と関連会社の正社員、派遣、下請、パート、臨時など全ての労働者の働きがあるからなのに、このたった1人の役員の「おかげ」だというんだから、考え方が完全に逆立ちしているよ。
ばば:でも、そういう逆立ちした考え方って、私たちの身の回りでも、広がっているんじゃない?例えば、じじと同じ弁護士の世界でも、事務員さんたちがいて支えてくれているから自分の仕事が成り立っていると考える人は、案外少ないんじゃないの?成果や収入は、全部自分のもの、事務員に払う給料は、惜しくて仕方無いというね。
じじ:そうだね。それはともかく、こういう事実を見ると、アベの言う「トリクルダウン」は、本当に空々しいよね。トリクルダウンどころか、現実は、徹底した絞り上げ、吸い上げだものね。
着たきり雀で何年も過ごしている人たちがいるというのに、毎年、10億着もの服が捨てられていき、1年で103億円もの報酬を受け取る役員がいる。かと思えば、不正を働いた人が誰1人処罰もされない森友・加計問題、それに学んだかのような日大問題、官僚トップのセクハラ問題、賭博公認の強行採決、働き方改革の名の下での超過残業容認制度の強行採決等々、この国の道義や信義は、どうなってしまったのだろうね。
ばば:壊れていく日本を見ているようね。

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米朝首脳会談と日本

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米朝首脳会談が開催され、これをどのように評価するのかを巡って、世界でも日本でも様々な論評が飛び交っている。これから、私が書こうとしているのは、そうした論評のあれこれについてのコメントではない。私が書こうとしているのは、そうした各種の論評のいずれにおいても、正面から取り上げられていない「我々日本国民にとって、この会談が示している意味は何か」という問題である。それは、会談を通じて米朝が目指した方向が、このまま実現していった時に、日本及び日本人は、どこに連れて行かれるのかという問題でもある。
会談に至る一連の経緯の中で明らかになったのは、日本には、主権国家としての固有の外交は存在しないという事実である。
トランプと金正恩とが激しい非難合戦をしているときには、そのトランプと「完全に一致している」と言い、電撃的な南北首脳会談の開催に対して「対話のための対話は意味が無い」とアメリカが言えば、それに無条件で同調し、南北会談後のトランプのこれに対する評価が変化すれば、それを踏襲し、トランプと金正恩による米朝首脳会談開催が報じられれば、これを支持してみせ、トランプが会談の中止を突然発表すると、真っ先にそれを支持してみせ、やはり会談を実施するとなると、それを支持し、さらには、拉致問題解決に力を貸してくれとトランプにすがりつき、トランプからおそらく「意向は伝えるだけは伝えるが、解決するのは日本と北朝鮮との間の問題だ」とつきはなされると、「トランプ大統領が、拉致問題を会談で取り上げる確約してくれたことに感謝する」とトランプに媚びを売り、「拉致問題は、日本が直接しっかりと北朝鮮と向き合い、二国間で解決していかなければいけないと決意している。」ともともと当たり前のことに過ぎないことをさも、重大な決意を自分がしたように言う。こういう一連の行動を見れば、そこに主体性のかけらも無いことは明白である。

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白井聡氏は「国体論 菊と星条旗」(2018年4月22日 集英社新書)で、戦後の日本には、日本国憲法と安保法体系の二つの法体系が存在し、一貫して後者が前者に優越してきたとし、(我が国の)矛盾の根本があるのは憲法の条文と自衛隊の存在との間にではなく、憲法と日米安保体制との間であり、前者の矛盾は後者の(矛盾の)派生物に過ぎないと書いている。
「安保法体系が憲法体系に優越する」というのは、日本国憲法の上に、日米安保法体系があるということであり、それは、ありていに言ってしまえば、日本の主権は、アメリカに握られ続けていたということ、日本は真の独立国家では無いということを意味する。
「二重の法体系があること」が意味するのは、表向きには憲法9条を持つ平和国家としてふるまいつづけ、国民にも、我が国は、平和国家なのだと信じさせ、国民もそのように信じることが許されてきたが、その裏では、実際には、日本は、平和国家どころか、戦後一貫して世界のどこかで戦争を続けてきたアメリカの軍事戦略に付き従い、これに協力し続けてきたということ、すなわち日本は、表の虚像と裏の実像の2つの顔を持っているということである。
この裏の実像において、アメリカが戦後一貫して日本に求めてきたのは、日本の自衛隊が、アメリカの戦争に、アメリカの指揮の下で直接参加することであるが、それをアメリカと日本政府がこれまで現実のものとすることができずに来たのは、以前このブログで「指揮権密約」について書いたときに指摘したように、表の顔(憲法9条を中心とした平和国家)を支持し信じる国民が多数であったことによる。
だが、「世界の憲兵」としてのアメリカの地位がゆらぎ、これまでのようにはその地位を維持することができなくなる中で、アメリカは、その戦略の変更を余儀なくされている。日本との関係で端的にその変更の方向が示されているのがアーミテージ・ナイ・リポートである。
いささか単純化していうと、この戦略変更の骨子は、次の2つである。
1 世界の憲兵としてのアメリカの地位は何としても守る。
2 しかし、そのためのアメリカの経済的・軍事的な負担は、極力削減し、それを「同盟国」に肩代わりさせていく。
もっとも、こんなアメリカに都合の良いことを「同盟国」であっても、そう易々とは受け入れないだろうことは容易に想像できるはずである。
そこで登場するのが、日本にほかならない。アメリカのいいなりになることが約束されていて、これまでも重要なことについては、全てアメリカのいいなりになってきた日本なら、こういうアメリカの身勝手な要求に従うということなのだ。 アメリカにとって、日米安保体制は、もはや締結時の対ソ防衛体制ではなく、米軍が全世界で展開する軍事戦略を支える体制に変わっているのだ。
防衛庁(1995年当時)も、これを受けて、日米安保体制のあらたな役割は、「世界の安定維持に関する米国の活動を、日本が支援するための不可欠の枠組み」と位置づけている。更に、平成27年の日米防衛協力のための指針(いわゆる「日米ガイドライン」)では、周辺国有事の際の後方支援に限らず、地域を限定せず、極論すれば世界のどこででも自衛隊は米軍の後方支援をする。また、宇宙空間やネット空間についての安全協力なども盛り込まれている。
これを実行するために不可欠なのが、集団的自衛権の行使容認であり憲法9条の改正なのだ。

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2012年のアーミテージ・ナイ・リポートは、集団的自衛権の行使容認、兵器の共同開発、PKOの範囲拡大、平時に限らず戦時における米軍と自衛隊の全面協力、日本単独でのホルムズ海峡派遣、日米国家機密の保全措置、日米韓の軍事的連携、武器輸出3原則の緩和、原発再稼働、ペルシャ湾の船舶交通の保護などを提言している。
これと同じ年、統合幕僚監部の附置機関として研究・教育を司る統合幕僚学校がまとめた「『諸外国の最新の軍事戦略の動向に関する調査・研究』研究成果」では、公海における海自艦艇による米艦船の防護、米国の戦略に日本が本格的にビルド・インするための集団的自衛権の行使容認、国家緊急事態法の整備、装備の国際共同開発への参加、武器輸出3原則の見直し、PKO5原則の見直しなどが提言されていて、両者の共通性は驚くばかりである。
そして、その後、これらは、安倍政権の下で、着々と実施されてきた。
集団的自衛権行使容認の閣議決定とそれを受けた安保法制
武器輸出3原則の変更と装備(武器)の国際的共同開発の推進
特定秘密保護法
日韓ACSA(同盟国軍隊との間の物資や役務の相互利用のための協定),日豪SCSA
文字通り、いいなりなのだ。それは、日本に主権が無いことと共に、日本(の支配層)が、アメリカのいいなりになる以外に、アメリカの「庇護」を離れては、この国の体制(白井氏の言うところの「国体」)を維持することができないと考えているからなのだ。
結局は無惨な失敗で終わることを、他の誰よりもわかっている政権にとってアベノミクスに代わる「神風」は、かって戦後のどん底経済の立て直しが朝鮮戦争やベトナム戦争などの軍需景気によって成し遂げられたように、戦争以外にないと考えているのだ。それゆえの「戦争ができる国つくり」なのだ。そして、その戦争は、アメリカの戦争に、先兵として参加する戦争として予定されている。
米朝首脳会談が、日本にとってどういう意味を持つのか、どういう影響を及ぼすのかは、こうした文脈の中において考える必要がある。
アベの右往左往ぶりを今更あげつらっても意味は無い。つまり、アメリカは、米朝首脳会談の先に、日本に対して何を求めてくるのか、言い換えるなら、日本は、これから何をやらされようとしているのかこそ、まず考えなければならないことなのだ。