女性差別を自省する。

image5

このところ、めっぽう忙しく仕事に追われていたため、息抜きは、裁判所への行き帰りの電車の中と、法廷の合間の待ち時間に、本を読むこと位になっていた。
私の本の読み方は、乱雑というか、なんというか、まことに統一感に欠けることおびただしいものがあり、直接仕事に関係する専門知識に関わる本から、憲法や原発に関係する政治関係の本や、歴史書、科学書、ドキュメンタリー、更には、様々なジャンルの小説に至るまでとなる。まあ、本屋に行くと、手当たり次第に、最低でも10冊近くを買って帰るのだから、出版業界から表彰状が届かないかしらん、とひそかに思っている。
それはともかく、最近手にした本(乃南アサ「それは秘密の」新潮文庫)の中の小説「ハズバンズ」は、「かんちがい女」を取り上げて、この作家の筆の冴えがまことに見事だ。
たとえばこんな調子だ。
「濃い化粧、前髪だけ短く、あとは長く伸ばした上に緩くウェーブをかけている茶色い髪、耳たぶからぶら下がって肩に触れんばかりの大きなピアスや、じゃらじゃらと襟元を飾っているアクセサリーに、そして濃いピンク色のクロコダイル風バッグ、レモンイエローのカットソーに至るまでが、すべてやたらと派手なばかりで、コーディネイトもへったくれもあったものではない。水商売の女性ほど垢抜けた感じもしなければ、それなりの仕事を持って経済的に自立している女性の雰囲気からもほど遠く、無論、上品な家庭の主婦とも思えない。エレガントともゴージャスとも異なるが、それでもあえて褒めようと思うなら、まあ、とりあえずは若々しく見えるといったところだろうか」
小説は、この「かんちがい女」の元夫の語りの形で話が進められていき、それにつれて、結婚前からの語り手の男とのまことに絵に描いたような「アッシー君」関係から、結婚してからのわがまま放題、気分次第の女王様然としたふるまい、そしてやがて外に男(大手ゼネコンの部長で既婚者。2人の子もいる)を作って「だって、好きな人ができちゃったんだもん」と一方的な離婚。
「上昇志向の塊の、金を使うことが何よりも好きな女。見栄っ張りで、着飾ることが生きがいの女。つまり彼女だ。その結果、2つの家庭が壊れた。」
2つの家庭を壊しながら、今も、何一つ悪びれもせずに、語り手の男を訪ねてきては、自分の美容につかうためのお金の無心をする女。
読み進みながら、何度も心の中で、「そうだ。そうだ。そうだよな。」「女に対しては、女の方が見方が厳しいっていうけど、これを読むとまさにそういう感じだな。」「いる。いる。こういうかんちがい女。」と、快哉を叫んでいた。
そして、これでもか、とばかりに書き込まれるその女の「度外れた自己中ぶり」や「かんちがいぶり」に、次第に、語り手の主人公が、痛烈かつ痛快なしっぺ返しをその女に対してするという結末を期待しながら頁をめくっていた。
ところがである。これ以上書くとこの小説のネタバレになるからやめるが、私の期待は見事に裏切られたとだけ言っておこう。

見事に裏切られたことで、考えさせられた。
こういう「かんちがい女」「自己中女」を嫌悪し、それに対する痛烈なしっぺ返しを期待してしまっていた私は、実は、自分でも気づかないでいたが、女性を差別する目で見ているのではないだろうかと。

かって「恋のカラさわぎ」とかいう番組があったが、そこに登場する女性たちは、そろいもそろって私からするとまさにこの小説の「かんちがい女」「自己中女」の典型であり、そういう女を囃し立てるという番組だった。司会者のさんまが、そういう女のばかげた「自慢話」を囃すことで、登場する女たちが、さんまに迎合するように、前の週の番組の登場者が男に高級車を3台買って貰ったという話をしたら、次の週の番組登場者は、男に7台の高級車を買わせたという話をするというような、もっとすごい話(私からすると、もっとばかげた話でしかないが)をしていくようになるという番組だった。
話はそれるが、そんなことから、私は、「さんま」を嫌いになって行った。もっとも、さんまを嫌いになったのは、それだけではなく、他の番組で、小学生の子を登場させ、その子から露悪的な話を引き出してそれを笑いにし、そうすることでその子をますます露悪趣味の方向で司会者さんまに迎合させている姿や、あの大げさすぎる身振り手振りのわざとらしさのせいもあるのだが。
それはともかく、私の中には、そういう女たち=金持に群がり、ブランド物を買いあさって着飾り、見栄っ張りで、自分のことしか考えないという女たちに対しては嫌悪と軽蔑の気持しかなかったことは確かである。
しかし、乃南アサ氏のこの小説を読んで、私が嫌悪し軽蔑していた女たちに対する全く別の角度からの見方がありえるということに気づかされた。
それは、そういう「かんちがい女」や「自己中女」が生まれるのはなぜなのかということであり、おそらくそれは、女が女である前に、1人の人としてこの社会でまっとうに受け入れられていないということによるのではないのかという視点である。そして、そういう見方に気づけないで来たということは、女性を1人の人としてまっとうに受け入れない社会というものが、女性にとってどういう意味を持つことなのか全くわかっていなかったということなのだと思うのだ。それはつまり、私も差別者の側にいたということなのだ。

広告

じじとばばの会話ー合区解消

20180805_065435
じじ:なんだろね。この2人の討論。日本の政治家として、いま何よりも考える必要がある課題は、日本中に広がる地震・台風・集中豪雨・原発などによる被災地とそこに住む人々の復興、かってない規模に広がってしまった国民各層の格差の是正、福島を繰り返さないためのエネルギー政策の抜本的改革、行政の透明性と公正性の回復、国会の機能回復、平和外交の再構築、破綻に瀕した国家財政の再建と健全化など、いずれも、国民の生活に直結する問題ではないかと思うのだけど、そうした問題を何一つ正面から取り上げていないよね。
ばば:そうね。2人とも、国民の生活をどうしたいのか、どうするつもりなのかということについて、抽象的なことを言うだけで、具体的なことは何もいってないわね。
じじ:安倍首相お気に入りの稲田朋美議員は、かって「国民の生活が第一なんていう政治は間違っている」と講演の中で言い放ったことがあるけど、今の自民党にとっては、国民の生活は、二の次、三の次なんだろうね。
ばば:それはそうと、この討論で石破さんは、9条より合区解消を急ぐべきだと言ったと報じられているけど、石破さんの言う合区解消って、この前自民党の改憲案として4つほどあがった中の一つに合区解消のための憲法改正案としてあげられていたあれと同じものなの?それとも、それとは違うものなの?
じじ:どうなんだろう?新聞ではそのあたりのことは詳しく報道していないから、よくわからないけど、石破さんのブログを見ると、ここで言っているのは、憲法を改正して合区を解消するということではなさそうだよ。
ばば:そうなの?それはそれとして、私よくわからないんだけど、この前、国会で参議院の定数を6つ増やす法律ができたじゃない?新聞なんかでは、これは、合区で議員になれなくなった人の救済策だって書いてたけど、それと、今回の自民党改憲案の合区解消とどういう関係にあるのかしら。
じじ:悪い、どういう関係にあるかって、質問の意味が良くわからない。
ばば:そもそも、法律でこういうことができるなら、なにも憲法を変える必要なんて無いんじゃないかって思うのよ。
じじ:ああ、そういうことね。合区を解消するっていうことだけなら、もっと簡単に、合区を決めた公職選挙法を改正して、元に戻せばいいじゃないのか、それなのに、合区解消のためには、法律ではなく、憲法を変えなければならないというのは、何故なのかということだね。
ばば:そうなのよ、その肝心な点については、自民党は何も説明していないよね。
じじ:説明しないのは、この肝心の部分を説明したらまずいからなんだよ。
ばば:えっ、どういうこと?
じじ:法律で合区を解消するには、公職選挙法を改正して、鳥取全県区、島根全県区、徳島全県区、高知全県区を復活させることになるよね。
ばば:そうね。
じじ:すると、それと同時に、最高裁が違憲状態とか違憲と判断した1票の格差も復活してしまうことになって、また最高裁から、違憲とか違憲状態の判決が出されてしまうよね。
ばば:たしかに。
じじ:ところで、最高裁がそういう判決を出す根拠にしてるのは何かわかるかい?
ばば:投票権の平等原則…かな。
じじ:その原則の根拠は?
ばば:憲法よね。
じじ:そう。憲法14条の平等原則だよね。
だから、これがある限り、いくら法律で合区解消しても、最高裁が違憲判決を出すことを止めることは出来ないんだよ。
じゃあ、最高裁が憲法14条を根拠に判断するのをやめさせるにはどうしたらいい?
ばば:わかった!憲法14条を無くしちゃえばいいんだ。
じじ:おい、おい。恐ろしいこというなよ。確かにそうだけど、さすがに国民の平等原則を定めた14条を無くしちゃうことは無理だよね。この条文を無くさないで、しかも、最高裁が選挙の有効性を判断するときに、この条文を根拠にすることができないようにするにはどうしたらいい?
ばば:うーん。 あっ、そうか。14条の例外をつくっちゃえばいいんだ。
じじ:大正解!
まさに、この改憲案はそれなんだよ。改憲案の47条1項にはこう書いてある。「両議院の議員の選挙について、選挙区を設けるときは、人口を基本とし、行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案して、選挙区及び各選挙区において選挙すべき議員の数を定めるものとする。参議院議員の全部または一部の選挙について、広域の地方公共団体のそれぞれの区域を選挙区とする場合には、改選ごとに各選挙区において少なくとも1人を選挙すべきものとすることができる。」って。
ばば:なんか…ちょっと…むずかしい。
じじ:なおみちゃんか?
と、冗談はさておき、確かに難しいよね。まあ、一般の国民によくわからないようにわざと難しくしているということもあるしね。
かみくだいて言うと、一つ目は、衆参両議院の選挙区割や定数は、人口だけでなく「行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案して」決めて良いということ、二つ目は、参議院の都道府県単位の選挙区では、改選毎の定数を各選挙区最低1人以上としなければならないということ、この2つを憲法の条文に盛り込もうということなんだよ。
ばば:するとどうなるの?
じじ:わからない?ばばのいう「例外」を作ったことになるんだよ。選挙権も被選挙権も人口に比例して国民みんなが平等に持つ必要があるという原則が、この改正47条1項で否定されてしまうんだよ。
ばば:どうして?
じじ:だって、そうだろ、選挙区割や議員定数の定めが、平等ではなくても、それは「行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案して」決めた結果だと言えば、憲法違反の批判は出来なくなるし、参議院については、鳥取、島根、徳島、高知などの全県区を復活させるのは、この憲法条文がそうしろと言っているからだということになるよね。
すると、その結果、例えば、島根の一票の価値と千葉の一票の価値の差が4:1になっていても、憲法違反ではないことになる。
でも、これって、本当に重大なことだよね。選挙権、被選挙権というのは、国民主権を支えるために国民が政治に参加するための重要な権利だよね。その重要な権利が平等でなくても良いということを憲法にもりこんじゃえということなんだから。
ばば:ひどい!だったら、そう言えばいいじゃないの。
「私たち自民党は、選挙については憲法14条の平等原則を外して、例外を作って選挙権は平等じゃなくても良いことにします。それがこの改憲案です」って。
じじ:だよな。それが正直ってものだよな。
でも、絶対にそんなことは言わないだろうね。正直にそんなこと言ってしまったら、改憲案に賛成する人なんてほとんどいなくなっちゃうからね。
ばば:汚いわね。それにしても、マスコミもどうして、その一番大事なポイントを報道しないのかしら。
じじ:マスコミもだまされちゃってるのか、それともわかってても政権に忖度して黙っているのかのどちらかだろうね。まあ、後者だと思うけどね。