愚かな自殺行為

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もう、議論は無用。
感染を止める最善の方法は、人と人の接触を可能な限り最小限にすること、さらにそれが出来る者はゼロにすることである。
そうすれば、今既に感染しているものが、これから2週間程度の間に発症することはあっても、その間に人と接触しないのだから、今から新しい感染者は基本的に出ないのだ。
つまり、人と人との接触を最小にして、その間に症状が出た者に対しては、きちんとした隔離の対策を順次とっていけば、2~3週間後には、新しい感染者は出ず、感染の抑制につながるのだ。それは和歌山がやったことではないか。
国中の人々が、一斉にそれをやれば、長くても、1ヶ月でコロナに打ち勝つ道が開けるのだ。

そして、それをやるために、国や都や自治体に、いわば「1ヶ月の一斉休業」を支える経済対策を求めることこそ、今国民がもう一方でやるべきことなのだ。

なのに、君たちは、ゾロゾロと目黒川に繰り出し、原宿に集まり、上野に繰り出し…感染を広げている。

3月の3連休の愚かな行為がなければ、4月の終わりには、勝利宣言を出せたかもしれないのに…
君たちの行動が、この状況を長引かせ、悪化させていることになぜ気づかないのか。
君たちの行動が、さらに多くの犠牲者を生み出していることになぜ気づかないのか。
君たちの行動が、緊急事態宣言をしたくてウズウズしている彼の後押しをしていることになぜ気づかないのか。

2020年3月20日

「感染源のわからない感染者が増えている」

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昨日(19日)、コロナ対策専門家会議が見解を公表しました。その中に「感染源がわからない患者が増えている」という表現が複数見られ、そこから、いつ感染爆発が起こるかわからないと警告しています。
これを見て、多くの人は、自分はいつどこで感染するかわからないという不安を持ったことと思います。そのように受け止めることは、それ自体決して誤りではないと思います。
ただ、私は、もう一歩先まで考えを進めることが大切ではないかと思っています。
「自分がいつ感染するかわからない」と不安を覚え、感染防止策を講じること。これは自己防衛の視点からの発想といえます。しかし、この発想には落とし穴が潜んでいるのではないでしょうか。落とし穴は大きく2つあります。
一つは、マスクをし、手洗いを励行し、密集した換気の悪い空間・人混みに行かず、他人と近い距離で話をしない等という公的に呼びかけられている行動を慎重に避けている自分が感染することなど無いだろうと考えてしまうことです。感染拡大防止のための3つの行動は、そういう行動、そういう場所では感染者との接触が起こりやすいということであって、あくまでも感染は感染者(感染源)との1対1の接触によって起こるのですから、そうした「危険行動」を一切していなくても、例えば、人気(ひとけ)がほとんど無いどこかのホールにポツンと置かれたソファーに座ったというだけなのに、たまたま、同じソファーにその少し前に感染者が座ってその手が触れた箇所にウィルスが付着していたということでも起こりえるのです。これが荒唐無稽の話ではないことは、あの「ウィルスばらまき事件」で二次感染した店員は、彼が座った同じソファーに座ったことから感染していることで証明されています。
そんなことを言うなら、一切外に出られなくなるではないかというかもしれません。しかし、感染防止ということのみを考えるなら、その通りなのです。だから、私たちは、そこから考えていかなければならないでしょう。つまり「一切外に出ない、のは理想かもしれないけど、そんなことは無理だ」としても、「本当はそこまでのことが必要な事態なのだ」という立場で、出来るだけのことはやるということです。これが自己防衛の視点から見ても、これまでの感染防止対策で、おそらく多くの人たちの視点から「自分は、換気の悪い密集空間に行かないし、人混みも出ないし、他人と近接して会話をすることも無いから大丈夫」という形で、抜け落ちていたことではないかと思います。
より重要なのは、もう一つの落とし穴に気づくことだと思います。専門家会議が「感染源のわからない感染者が増えている」と報告している事実が示しているのは、人混み・密閉空間・近接した会話や、クルーズ船、帰国者、クラスターとの接触等々の事実が一切無い人の中での感染が増えているということを意味します。そんなこと言われなくてもわかるよ、そう言っているじゃん、当たり前だろと言うかもしれません。しかし、その当たり前のことが示している事実は、一つ目の落とし穴で書いたことの裏返しとして、私もあなたもすでに感染者なのかもしれないという事実なのです。「感染源のわからない感染者」に感染させた感染者は、その人自身、自分が感染者で他人に感染を広げているとは夢にも思っていないということなのです。
専門家会議が、感染爆発の危険に言及したのは、そういう人が市中にたくさんいる可能性があるという認識をもとにしているのだと思います。
つまり、落とし穴は、この報告をあくまで自己防衛の視点からのみ受け止めようとすることから起こるのです。この報告が私たちに示しているのは、これからこの国で感染爆発が起こらないようにするためには、自己防衛の視点から、他己防衛の視点すなわち、自分の周りの人々をはじめとした自分以外の人々に、自分が感染源になってしまわないためにどうしたら良いかという視点にはっきり切り替える必要があるということなのだと思います。自己防衛の視点のみから考えると、例えば、自分は若いから、仮にかかってもたいしたことにはならないというような発想にとどまってしまい、その結果、自己防衛そのものもいい加減なものになってしまいます。特定の個人をむち打つつもりは毛頭ありませんが、関西地域でのライブでのクラスター発生は、複数のライブ会場に出入りしていた人でしたが、その人自身は、「まさか自分が(感染者であるはずがない)」と思い、そういう場所に行くことは危険と言われていることはたぶんうすうすは知っていたでしょうが、「自分が感染することはないだろう」と思っていたのではないでしょうか。自己防衛視点で考えることの落とし穴の典型かと思います。

財務省職員の遺書

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週刊文春が報じた近畿財務局の職員の遺書を読んだ。
2年前、この職員が自殺した当時から遺書の存在がささやかれ、自殺の原因が、森友学園問題で公文書の破棄や改ざんを強いられたことで精神的に追い詰められたことにあると指摘されていた。それでも、財務省も政権も、それらすべてにふたをして、遺書が主犯と名指した佐川は国税局長官に上り詰め、麻生はあいかわらず、何様のつもりなのか「ふんぞり返り」続け、安部も相変わらず「真摯に説明」といいつつ、何も説明せず、夫人も相変わらずへらへらとし、そして、コロナ感染対策で決定的ともいうべき失策が白日の下にさらされているのに、それでもこの国の人々の半数近くがいまだに彼らを支持している。そういう中での遺書公表である。
公表された遺書は、それらの指摘を決定的に裏付ける内容となっている。
それを読みながら、私の中では、いつのまにか、映画「新聞記者」で松坂桃李が演じた官僚と遺書を書いて自殺した赤木氏とが重なり合うイメージが膨らんでいた。まさに「事実は小説より奇なり」である。
これまで、森友、加計、レイプもみ消し等々に始まり、近くは、検察官人事への露骨で違法な介入と数々の問題が噴出し、そのたびに、今度こそこれでこの汚れきった政権に終止符を打てると思ったが、すべてねじ伏せられ、居直られてきた。
これだけの重みのある遺書の公表である。今度こそと思わずにはいられない。
しかし、すでに昨日の国会で、彼らは、これだけの遺書を黙殺する態度を鮮明にしている。
その様子を見ていて、私は、もう一つの映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を思い出した。国民に真実を伝えず、泥沼のベトナム戦争を続けていた政権からの様々な妨害と圧力に屈せず、ペンタゴン(国防総省)内部の秘密文書の暴露報道をした新聞記者たちの実話をスピルバーグ監督、トム・ハンクス、メリル・ストリープ主演で映画化したものだ。
この映画を思い出したのは、「今度こそ」がまた裏切られるかもしれない、と思ったからである。本当ならとっくに命運が尽きているはずのこの政権が、生きながらえていることの一つに、4割を超える国民の支持があり、そうした「支持」の原因の一つに、森・加計問題の時に、前川氏をおとしめる記事を掲載し、前川氏や氏とつながる文科省内部からの暴露・告発の価値を打ち消した新聞社の存在があると思うからである。アメリカでは、映画に描かれた実話の報道を大きなきっかけとしてベトナム反戦の市民運動が大きなうねりをつくり、戦争終結につながっている。映画の中で、暴露糾弾の報道が続けられるかどうかのターニングポイントとなったのは、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストが裁判所により記事掲載の差し止めをされかねないという危機状況の中で、全国各地の新聞社が同様の暴露記事を掲載することで、両新聞社を側面援助するという場面である。ここは、スピルバーグの演出が入っているようで、史実としては、タイムズ、ポストの差し止め命令が出され、これに対し法廷闘争に入っている中で内部告発者が、全国各地の新聞社に資料を提供し、それが掲載されたということのようであるが、細部の違いは別として、大事なことは、マスコミ各誌が、こぞって真実を擁護し政権批判に立ち上がったという事実だと思われる。こうしたマスコミの姿勢が、その後のウォーターゲート事件の暴露からニクソン政権を倒すことにつながっているのだ。孤軍奮闘する東京新聞の姿を見るにつけ彼の地とこの地でのマスコミの違いを思わずにはいられない。