えぇい!しゃらくせぇ!

処罰するだの、店名を挙げてさらし者にするだのと、いってえ、どの面(つら)ぁ下げてそんなふざけたことをいってるんだい?
この騒ぎが始まってから、もう、1年だ。その間、流(は)行(やり)病(やまい)に対して、まともなお上なら、やらにゃぁならねぇことを、やらねぇで、感染(うつ)っちまったお人たちを野放しにしたなぁ、いってえ、誰だね。
人から人に感染(うつ)るんだから、人の動きをとめりゃぁいいことくらいあっしのような学のねぇ素人でもわかるこって。なのに、「こんなにかねを出すから」って、それいけ、やれいけって、人の動きをあおりにあおったんじゃあ、「どうぞ、おまえさんがた、感染(うつ)ってくれ」「感染(うつ)してきてくれ」って言ってるようなもんじゃねぇのかい?
どうにも解(げ)せねえなぁ、お上(かみ)ちゅうもんは、こういうとき、あっしらのような学のねぇ下々のものに、迷ったり、間違げぇたことをしねぇように、流(は)行(やり)病(やまい)についての正しい知識をきっちりわかってもらおうとするもんじゃねぇのかい?
あっしは、目を皿にして、普段見つけない報道番組を見てきたけんど、お上が、あっしらにそういう話をしたことは、いっぺんだってなかったのは、いってえ、どういうわけだい?
それどころか、前の首相も、今の首相も、国民の前にでてきて説明することから逃げ回っているし、たまに出てきたと思やあ、原稿を棒読みするだけで、質問もまともに受け付けないで逃げてしまうってぇていたらくだ。
かと思やあ、「綠のたぬき」のありゃあ、バスガイドかデパートのアナウンスみてぇな口調で、わけのわからねぇ横文字を並べて煙(けむ)にまくだけで、聞いててもなーんもつたわってきやしねぇ。
国や、都が、こんなこったから、マスクは意味が無い、コロナは風邪のようなものだ、若者は感染(うつ)ってもでえじょうぶだってぇのからはじまって、自分はサプリを飲んでるからでぇじょうぶだとか、このびょうきは、ビルゲイツが金儲けのために広げただとか、無症状の人から感染るというのは間違った情報だとか、ソーシャルディスタンスなんぞ迷信だとか、それをみんなが信じちまって行動したことで感染がますます広がってしまったてえわけだ。
あっしから見れば世迷い言でしかねぇこういう考えがはびこってるのは、正しい考えがきっちり伝わってねぇからよ。
あっしもてぇげぇ長生きしちまったから、お上が、テレビ局の裏から、飲ませたり食わせたり、脅したりいろいろ手ぇ回して、ある種の番組に、うまーく国民の考えを自分たちの都合の良い方向にひっぱっていくような操作をしていることは推測がつくようになっているが、そんなことで何億円もの金を使うなら、その金で、あぁいう世迷い言のような考えを信じちまっているお人たちの目を覚ますために、若者に人気の番組のスポンサーにでもなって、番組で流すコマーシャルに、例えば、若者にべらぼうな人気がある歌手や俳優や女優を起用して、「やあ、君たち、マスクをしないで渋谷の町に出てワイワイやっている自分たちはかっこいいって思ってないかい?でも、それは違うよ。かっこいいどころか、”俺たち何もしらないバカです”ってでっかい看板をぶら下げてあるいてるようなものでかっこわるいんだよ。どうしてかっこわるいのか、これからコロナについて、君たちに本当のことを話すからちょっと聞いてね。」とか「僕に3分だけ時間を下さい。」なんてぇ調子で登場させて、正しい知識を伝えて貰うくらいのことをやったってばちはあたらねぇんじゃねぇのかい?

それにしても、この国はいってぇ、どうなっちまったんだ。
入院を拒否したら懲役だと?
生きるか死ぬかの瀬戸際の患者が入院したくても入院させて貰えねぇってぇのに、おかしくないかい?懲役の前に、コロナで殺されちまってるってんだ。
検査を拒否しても処罰だと?
これまでさんざん「意味が無い」だの、「医療崩壊になる」だの言って、検査を拒否してきて、感染を広げちまったお前さん方を処罰するのが先だろうに。

森友にせぇ、加計にせぇ、桜にせぇ、てめぇらのやったことの尻を拭かずにいなおり続けてやがる。
鉄面皮!…言(つ)っても、こいつら恥知らずには、なーんにも響かねぇか。馬の耳に念仏、蛙の面に小便(しよんべん)ってね。
嘘に嘘を重ねるために、末端の人間を自殺に追い込んでも、誰一人責任をとらねぇ。
手元にあるのは、数百円きりで、今夜のねぐらも無え。そういうお人たちが町にあふれけぇってるってぇのに、くその役にもたたねぇマスクで何百億もの金をもうけたり、てめぇに刃向かった議員をけおとすために、てめぇの子分の選挙資金にぶっこんだ1億何千万円もの金は、もとをただせば政党交付金たらいう国民の税金じゃあねぇか。それで票を買収しまくっておきながら、いまだに議員に居座って1年で2,000万円を超える歳費を受け取っていやぁがる。それだって、国民の税金じゃあねぇか。
まったく、国の上の連中の神経は、完全に壊れているって、思うっきゃねぇ。

そりゃあ、昔だって悪い奴らがいなかったわけじゃぁねぇ。
ただね、昔は良かったってぇことを言いたいわけじゃあねえが、こんなに上が全部腐っちまったことなんざ決してありゃあしなかった。
いい加減悪い奴らがのさばり続けると、自浄作用つうもんが働いたもんよ。
それがどうよ。きょうび、自浄作用どころか、すこしはまともなことをやってくれるんじゃねぇかって、期待をかけた連中まで、いったん奴らの中に取り込まれたら、しれっと奴らのお先棒を担(かつ)ぎ始める始末だ。

正義の味方ってぇのは、”弱きを助け、強きをくじく”んじゃなかったっけか。
だが、正義の味方のはずの裁判所にせぇ、警察にせぇ、検察庁にせぇ、弱い者には、ほんのちょっとした間違いでも容赦しちゃくれねぇが、強い者には、8億円の国民の財産をどぶに捨てようと、白昼堂々と国民の税金で、買収供応(さくらみるかい)してようと、重要な公文書を書き換えちまったり捨てちまったりしてようと、ぜーんぶ目をつぶって”見ざる、言わざる、聞かざる”を決め込んでやがる。

たった1つの望みは、国民だあな。国民がいつ目を覚ましてくれるか。そればっかしが、あっしのような死に損ないのじじいにとっちゃあ、この先への危惧と不安に心を残して死ぬか、ホッとして安らかに死ぬかの分かれ目になっちまってるちゅうわけだ。 

なぜ見えなくなるのか(3)

競走馬の目隠し(ブリンカー)とSNS    
 「ケータイ」などSNSの普及によって、人々は容易に世界と繋がることができるようになり、一見すると人々の世界が広がったように見えるのに、実際には、そうではなく、むしろ、かってないほど狭くなっていると指摘されています。新聞を読まない。本を読まない。そしてSNSでは、自分に心地よいことを書いている情報だけを選択して接していき、それ以外の情報には、目を向けない。それこそが「分断」がこうまで広がった原因だという指摘もあります。北丸氏が書いていることも、そうした実態を指しているものと思います。SNSが競走馬の目隠しと同様の役割を一部の国民(その中心は、これまで書いてきた「新しい階級」に属する人々)に対して果たしているのでしょう。
 そのことは、トランプ支持者の議事堂乱入事件で示されています。トランプのツイッターのフォロワーは8,800万人強とされています。フォロワーの中には、トランプの言動をチェックするためにフォロワーになっている全世界のマスコミ関係者や学者・研究者なども含まれているでしょうから、その全てがトランプ支持というわけではないでしょうが、それにしても膨大な数です。そのツイッターでトランプは就任以来、連日数限りないフェイク発言や、差別主義的発言あるいはまた陰謀論的発言を繰り返し、それを支持者たちは、増幅して拡散しつづけてきました。4年間、毎日毎日、そういう情報の洪水に晒され浸ってきたことで、人は、どうなってしまうかを示したのが、あの議事堂突入の狂信者たちの姿なのです。

裏返しの世界
 いま、私は、彼らトランプ支持者たちを「狂信者たち」と書きました。しかし、議事堂突入行動には加わっていなくても、大統領選の結果が示しているのは、トランプを支持する人が、全米の半分近くに及んでいるという事実です。この事実を決して軽視してはならないと思います。
 そして、重要なことは、このトランプに投票した全米約半分の人々の目からは、バイデンに投票した人々こそ、大手マスコミなどの陰謀とそれによるフェイクニュースにだまされていると見えているということです。
 つまり、これまで、私がこの3回の連載記事で書いてきたことを180度裏返した世界に、トランプ支持者たちは住んでいるのです。
 ここが最もやっかいなところです。
 「あなたたちは嘘にだまされている」
 「いや、嘘にだまされているのはお前たちだ」

 この構図は、実は、コロナをめぐって、いまだに続いている対立ーコロナはただの風邪だ、いやそうではないというあの対立ーにも全く同じ側面があるのではないかと痛感しています。この連載の第1回の冒頭に書いたように、議論が全く噛み合わないのです。
 「ただの風邪のようなもの」と主張する人々は、コロナの危険性を信じている人たち(私もその1人ですが)に対して「目を覚ませ」と言います。「つくられたコロナ騒動にいつまでも振り回されずに、自然な生活を取り戻せ」と言います。それは、この人たちが、「コロナはただの風邪のようなもの」という意見を信じているからです。

 そのように信じてしまった人たちには、おそらく、マスコミで紹介されたり、SNSに載ったりしている”医療現場で働く医師や看護師たちからの悲痛な声”は見えていないのだろうと思います。
 もし、見えているのなら、「ただの風邪」と信じているひとたちは、そういう医師や看護師たちの悲痛な声をどう受け止めているのだろうかと思います。医療従事者たちは、幻を相手にして独り相撲をとっているとでも言うのでしょうか。「ただの風邪論」が正しいなら、現場の看護師や医師から、コロナの危険性を否定する声が、四方八方からあがるはずです。
 「みんな何を騒いでるの?入院している患者さんたちは、みんな元気で入院する必要なんて無いのに。」
 「医療崩壊、医療崩壊っていうけど、私たち医療従事者は、健康な”コロナ入院患者”を前に、何もすることがなくて、手持ちぶさたで困っている」と。
 しかし、実際には、現場から上がってくる声は、これとは正反対なのです。つまり、現場の医療従事者たちが見ている患者たちは、けっして「ただの風邪」ではないことを示しているのです。
 あるいは、この第3波での感染者増に伴って、最近注目されていることは、死亡者の多くが、重症患者ではなく、自宅待機中の急変患者だという事実ですが、「ただの風邪」で自宅で療養中に容態が急変してあれよあれよという間に死亡してしまうということが、そんなに頻繁に起こるものでしょうか。このこと1つとっても、「ただの風邪」ではありえないことは明らかです。
 更にまた、季節性インフルエンザの致死率は、0.1%程度、コロナの致死率は0.1~4%程度とされていて、コロナの方が明らかに高いという事実があります。また、死亡者数も、2018年のインフルによる死亡者は3,300人強ですから、4,000人を越してしまったコロナの方が死亡者も多いことになります。ですから、「季節性インフルの方が大変なのに、なんでそれよりも危険じゃないコロナで騒ぐのか」というのは、明らかに、事実を見誤っているとしか思えません。
 どうして、そんな簡単明瞭な道理も見えないのでしょうか。あるいは、見えなくなってしまっているのでしょうか。そこにあるのは、やはり情報の「目隠し」によって作られてしまった盲信なのではないでしょうか。

物事を見る視点について
  
 医師や研究者や科学者の肩書きを持つ人がSNS上で流している科学的装いを持った「ただの風邪」論。それが、多くの人を惹きつけるのは、「ちゃんとした」肩書の「専門家」が書いているということ、自粛、自粛にへきえきしている気持ちに「ただの風邪」論が救いに見えること、など、いろいろ原因はあろうかと思いますが、思うに、最も根本的なことは、自分の願望からスタートしていることにあるのではないでしょうか。物事を、目の前にある客観的事実を偏見なく受け止め、そこから事態を分析理解していくのではなく、自分の感情や、おかれている境遇から、「こうあってほしい。」「こうならいい」という自分の主観的な願望から目の前の現実を取捨選択して議論を組み立てるということにあるのではないかと思うのです。
 「ただの風邪」を主張する人々は、しばしば、季節性インフルの感染者数・死亡者数との比較や、自殺者数との比較などを取り上げています。しかし、そこで取り上げている数字は、本当に正しい数字なのかどうか、吟味されているのでしょうか。例えば、「インフルの死者は毎年1万人」という数字を挙げる人がいます。そこでは、コロナの死者としてカウントされるものとインフルの死者としてカウントされるものとの間にある違い(直接の死因のみか、関連死を含むか)が無視されていますし、インフルの死者は実数値ではなく、推定値であり、コロナの方は実数値であることも無視されています。更に、比較すべきことは、感染者数と死者数だけでは無いはずです。治療法の有無、感染力、致死率、重症化率、後遺症の有無、感染の仕方(無症状で感染)等々、様々な角度から問題を見ることが必要です。
 そうした全てを十分検討した上で、比較するのではなく、自分の主張(風邪)にとって都合の良いものだけを取りだして議論を進めようとするのは、まさに、「こうあって欲しい」という願望からスタートしていることになります。

 コロナのために、ごく一部の例外を除き、日本中の人々が多かれ少なかれ何らかの被害を受け悲鳴を挙げています。雇い止めにあった派遣労働者、家族と従業員たちの生活を支えてきた店が閉店に追い込まれた自営業者、給料の大幅な減額で住宅ローンを支払えなくなり、昨年買ったばかりの念願のマイホームを手放さなければならなくなった人、腕の良い職人として評判が高く仕事に精を出していた夫なのに、コロナで仕事が激減してしまい、その憂さを酒で晴らすようになった挙げ句DVが始まってしまい、そのために長年連れ添った夫との離婚を考えている人、夢を抱いて上京した息子や娘の自殺の知らせに呆然とする親、生活のために心ならずも風俗で働く娘…等々、そうした人たちは、みんな、「これが幻であってくれたらどんなに良いことか」と心の底から願っています。こうした人たちに比べたら、まだ少しは恵まれている私も、「コロナがただの風邪であってくれたら」と願わずにはいられないのですから、逃げ場の無い状況に追い込まれた人たちの思いの強さが、どれほどのものか想像するに難くありません。そうした心に、「ただの風邪論」はダイレクトに響くのではないでしょうか。いや、それもあるでしょうが、「仕事が欲しい、働きたい」という切実な要求がかなえられずにいるこの人たちにとって、「営業の時短が必要だ」「営業自粛が必要だ」という声と主張は、自分たちの社会復帰を妨げる主張としか映らないのだろうと思います。

 「コロナは決してただの風邪ではない」と主張する立場からすると、そのように追い詰められ、切羽詰まっている人たちの問題を解決していく基本的な道筋は、これらの人々をそのような深刻な状況に陥らせたのは、コロナのせいではなく、コロナに対する政府の無為無策の結果なのだということを明確にして、政治の大転換を実現し、コロナ終息のための徹底した政策を実行しつつ、コロナ終息までの間、新しい階級全体のおかれている境遇に対する「公助」を徹底拡充していくということになります。
 しかし、これは、「いま、この瞬間に食べるものがない、寝るところもない」という人々にとっては、あるいは「寝言のような」悠長な議論としか映らないのかもしれません。
 「政治の大転換」なんて、いつどうやってできるのか、「公助の徹底」って、いつなにをしてくれるというのか。そのことが具体的に見えないからです。
 確かにそうです。
 同様に、ただの風邪か、そうでないかの議論を繰り返すことも、いま目の前にある現実との関係では、消耗でしかないと思うのです。

 今必要なことは原理原則論を繰り返したりすることではないと思います。
 感染爆発を目の前にしたいまは、何が何でも、コロナを押さえ込むことが最優先されるべきではないかと思います。

 そして、そう考えると、自粛を求める政府の方針は自分たちの無為無策の責任を国民に転嫁するものだと批判することに力を注ぐのは、「そうだ!自粛なんてしてられるか」という気分を増幅することで、自らの足元を掘り崩していくことになりかねないのではないでしょうか。本来、自助ー自粛が対策の基本であるから自粛するのではなく、本来やるべきことを政府がやらないから、政府がやるのを待つわけにいかずに、自分たちで自分たちを守るためにできる限りのことをするしかないという状況にいまはなっているのではないでしょうか。


 ニュージーランドが、コロナ押さえ込みに成功した理由は、強硬なロックダウンをしたからではなく、ロックダウンの必要性を国民に向けて毎日毎日、語りかけ続けた首相を国民が信頼し、首相の呼びかけに国民が積極的に応じたからです。つまり、国民が本当にその必要性を理解したことで、強制力の行使をしなくても国民自ら極めて厳しい自粛(行動規制)を実施したのです。
 だとしたら、政府が罰則規定を盛り込んだ法律を作っても、何の解決にもならないでしょう。むしろ、反発と反抗を招く危険の方が大きいでしょう。

 ニュージーランドの貴重な経験に学ぶなら、いま、私達ができることは、まだ、事態の深刻さを理解していない人々に、それをわかって貰い、深刻な事態から自分や自分の周りの家族、親族、恋人、友人、知人等々を守るために何をしなければならないかをわかってもらうことではないでしょうか。
 連日全国各地で「過去最高の感染者」「過去最高の重症患者」「過去最高の死者」が出ています。そのようになった大きな原因は、GoToトラベル、GoToイートで、国民をあおり立てて、全国に人の流れを作ってしまったことにあることは明らかではないでしょうか。それなのに、いまなお、相変わらず、町には大勢の人が「遊びに」出ています。
 「明日から緊急事態宣言で飲めなくなるから、今のうちに飲みに来た」
 「夜8時過ぎの外出はだめだというから、その前の時間の外出は良いのだと思った」
 これらは、いずれも、なぜ、何のために外出自粛や営業自粛が必要なのか、全くわかっていないことを示しています。
 これを変えないかぎり、感染は止まらず、拡大し続けることはさけられないと思います。それは、罰則や、強制によって変わるのではなく、1人1人の国民の「しっかりした理解」によってしか変わらないのだと思います。