共謀罪ーその2ー

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今日は、1日、学校の校庭を畑に作り替える作業です。暑い夏の日盛りの中の慣れない力仕事で、手にはまめが出来るし、全身汗まみれになってしまいました。小学5年生のたえ子は、作業をしながら、ふとこんなんことを思っていました。
「アイスクリームを食べたい!もうどれだけの間食べていないだろう。口に入れたとたんのあのひんやりした感じ。口の中に広がる甘やかな味。食べたい!こんな戦争は早く終わらないだろうか。そうすれば、アイスクリームも食べられるだろうし、みんなと一緒に、教室で勉強もできるだろうと思うのに。でも、ここよりもっと暑い南の島でお国のために闘っている兵隊さんのことを考えると、こんなことを思う私は非国民なのかしら。」
戦況が悪化していくにつれて、国民(臣民)の生活は日増しに苦しくなっていき、食べ物も着るものも、燃料すら自由に手に入れることは出来なくなっていきました。でも、”ほしがりません勝つまでは””ぜいたくは敵だ”というスローガンの下で、子どもから大人まで、天皇陛下のため、尊いお国のため、聖戦完遂のため、そうした苦労に耐えていたのです。そうした中、苦しいといったり、弱音を吐いたり、不平を言う者は、皇民としての自覚が足りないと言われ、あるいは反戦思想の持ち主だとして特高に引っ張られたりしたのです。
ですから、空腹を抱えて毎日続く軍事教練や、畑仕事の辛さに、つい、こんな戦争はもう終わって欲しい、前のようにみんなと机を並べてのびのびと勉強したい、おいしいアイスクリームを食べたいと思ってしまったたえ子も、そう思った瞬間に、そんなことを思う自分は、天皇さまにそむき、国にそむく非国民なのだろうかと、自分で自分を責めてしまったのです。
1925年に制定され、1941年の改正で、「準備行為」や「宣伝」も処罰されるようになったことで、事実上、国民(臣民)の全てが処罰対象になっていった治安維持法の猛威と、教育勅語に基づく徹底した皇民教育の結果、国民(臣民)は、自分の心の中まで自分で規制するようになってしまったのです。
自由にものを考え、自由にふるまい、自由に話すことができる。
治安維持法が廃止され、日本国憲法が制定された戦後の日本では、あたりまえのこうしたことが、あの時代には、「非国民」とされ、犯罪者扱いされていたのです。

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その亡霊がいま復活しようとしています。「組織犯罪取締法改正案」いわゆる「テロ等防止法案」=「共謀罪」です。
共謀罪について、私は既に、3月にこのブログで詳しく解説しました。おさらいの意味で、この法案の問題点を簡単に整理しておきます。
1 犯罪の着手・実行が無くても処罰される
「共謀」に加わった者の中の1人が「準備行為」をしただけで、まだ何もしていない他の者も全員処罰されることになります。その人たちが処罰される理由は、「共謀」に加わったという行為だけです。すると、そうやって逮捕処罰されようとする人が、無罪を争うためには、「自分は共謀に加わってはいない」という「無いことの証明」をしなければならなくなります。安倍は、「無いことの証明は、悪魔の証明であります。」と言いましたが、正にその「悪魔の証明」を強いられることになるのです。
ところで、この「共謀」について、法務省は、次のように書いています。

そもそも「共謀」とは,特定の犯罪を実行しようという具体的・現実的な合意をすることをいい,犯罪を実行することについて漠然と相談したとしても,法案の共謀罪は成立しません。したがって,例えば,飲酒の席で,犯罪の実行について意気投合し,怪気炎を上げたというだけでは,法案の共謀罪は成立しませんし,逮捕されるようなことも当然ありません。」

一見もっともらしい説明ですが、これは、はっきりいって嘘です。それこそ、「そもそも」、ここで言う「特定の犯罪を実行しようという具体的・現実的な合意」と「犯罪を実行することについての漠然とした相談」と、どこがどう違うのでしょう。両者の境界は決して明確ではありません。かっての治安維持法が、特高によって際限なく拡大解釈されていったように、そしてその結果、冒頭に書いたように、「床屋談義」程度のものであっても、戦争批判の言動が取り締まられていったように、こんな法律が成立して、国民の自由な言論が封じられていったら、いずれは、法務省が例として挙げている「飲酒の席での怪気炎」であっても、「具体的・現実的な合意」があったとされてしまいかねないのです。

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2 「準備行為」は、国民の日常行為
この法による処罰の要件は、共謀に加わった誰かが「資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の準備行為」をしたことです。政府は、国会で準備行為にあたるのはどういうものかと問われて、「ATMで資金を引き出すこと」「旅券を手配すること」「航空券を購入すること」などを例として挙げています。しかし、こうした国会答弁にはほとんど意味がありません。法律が出来てしまえば、法律の「資金または物品の手配、関係場所の下見」の部分は、単なる例示だとされ、残るのは「準備行為」という抽象的な文言しかないのですから、何が準備行為にあたるかは、その後の法律の執行者(警察・検察・裁判所)の解釈に委ねられるからです。
そして、国会で政府が「下見」「物品の購入・手配」の例として挙げている上記のような行動(ATMで預金を下ろす。旅券を手配する。キッブを買う。等)は、全て私たちが日常生活で普通にやっていることにほかなりません。食べ物を買ったり、飲料を買ったり、お金をATMでおろしたり…そうした日常行動が準備行為にあたるとされかねないのです。

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3 処罰のためには盗聴・監視が不可欠になる
そうすると、ここに、重大な問題があることが浮かび上がってきます。
これまでの犯罪は、現実に犯罪行為が起こった後に、これに対する捜査が始まり、証拠固めをしていき、犯人を特定して逮捕することになります。現実の犯罪行為が何も無いのに捜査が始まることはありえません。
しかし、この法律では、準備行為があったら処罰されるのです。でも、例えば、準備行為の例とされた「ATMでお金を引き出す」人は、日本中に毎日無数にいます。その中から、特定の1人(Aさん)が、犯罪の共謀に基づいてATMでお金を引き出すという「準備行為」をしているのだということを、捜査側は、どうやって見分けることができるのでしょう。
ごくありふれた「ATMでお金を引き出す」というごく当たり前のことをしているAさんを逮捕するためには、捜査機関は「この人は、〇〇の犯罪の共謀に基づいてその資金の準備としてATMでお金を引き出したのだ」ということを事前に知っていなければなりません。
そして、そのためには、これまでと異なり、現実に犯罪行為が行われる前から、捜査側が捜査をすることが絶対に必要になるのです。しかも、その捜査は、誰が、いつ、どこでするかもわからない「犯罪のための相談」(共謀)を探知するためですから、どうしたって、広く国民全体をつねに盗聴し、監視していなければならなくなるのです。
こうして、私たち市民の電話、携帯、メール、SNS、などは、こっそり警察によって盗聴・監視されることになるのです。

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4 一般人は対象にならない?
こうした批判に対し、政権は、この法律は一般人を処罰対象とするものではないと言い、法務省もこの法案のQ&Aで次のように書いています。
組織的な犯罪の共謀罪」には,厳格な要件が付され、例えば,暴力団による組織的な殺傷事犯,悪徳商法のような組織的な詐欺事犯,暴力団の縄張り獲得のための暴力事犯の共謀など,組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪を共謀した場合に限り処罰することとされていますので、国民の一般的な社会生活上の行為が本罪にあたることはあり得ません。
また、組織的な犯罪の共謀罪の新設に際して、新たな操作手段を導入するものではありません。

この「解説」は、「暴力団」「悪徳商法」「暴力団」「重大な犯罪」といった言葉を並べることで、国民に、「この法案は、暴力団とか、悪質商法の詐欺集団の、しかも重大な犯罪に関するもので、自分たち一般の国民には関係が無い」という誤った印象を植え付けようとする極めて悪質な「解説」です。法案の条文のどこにも、「暴力団」「悪徳商法の詐欺集団」などという言葉はありません。この法律が処罰の対象にするのは、「暴力団」「悪徳商法詐欺集団」などによる犯罪の共謀に「限る」とも書いていません。

国会での答弁で「組織的犯罪集団」について問われた安部首相が、「目的が犯罪を実行することに一変した場合」という表現を使いました。
世間には様々な団体があります。そうした様々な団体のうち、「犯罪の実行を結成の目的とするもの」が「組織的犯罪集団」だというのです。でも、そんな団体って、果たしてあるのでしょうか。
○○組は侠道精神に則り国家社会の興隆に貢献せんことを期す。
 一、内を固むるに和親合一を最も尊ぶ。
 一、外は接するに愛念を持し、信義を重んず。
 一、長幼の序を弁え礼に依って終始す。
 一、世に処するに己の節を守り譏を招かず。
 一、先人の経験を聞き人格の向上をはかる。
これは、広域暴力団の指定を受けているある有名な団体の綱領です。すると、こういう綱領の下で結集しているのですから、これを「犯罪を実行することを」「その結合関係の基礎とする」「組織的犯罪集団」とは言えないことになり、法務省の解説が「暴力団」を対象にすると言っていることと矛盾が生じることになります。何を言いたいかというと、団体の結成目的が「犯罪の実行」であるような団体など、ほとんど無いのです。かのオウムでも、集団を形成する時にその規約に正面から「我々は、サリンによって多数の人を殺傷することを目的とする」などという目的を掲げてはいないはずです。では、「組織的犯罪集団」とはどういうものを指すのかと問われて、組織の「目的が犯罪を実行することに一変した場合」その組織は組織的犯罪集団になると答弁しています。
〇〇組が、麻薬取引を計画したり、オウムがサリン散布を計画したら、その瞬間に「目的が犯罪を実行することに一変した」として、組織的犯罪集団だということになるのです。
そうすると「目的が犯罪を実行すること」の「目的」は、その組織の結成目的ではないということになります。
するとどうなるか。
わかりやすく言えば、例えば、「憲法を暮らしに活かす会」という市民の団体があって、その会が、「保護なめんなよ」と書いた揃いのジャンパーを着用していた小田原市の福祉事務所に対して抗議行動をしようと決めて、「行政からきちんとした謝罪と改善の約束を引き出すまでは、テコでも引かない覚悟でやりましょう。」との方針を立てたら、その途端に「憲法を暮らしに活かす会」は組織的強要罪、組織的威力業務妨害罪、組織的監禁罪などの犯罪にあたる行動を目的とする組織に一変したとされかねないということになります。そして、そのメンバーの1人が、たまたま小田原市役所の近くに用事があって出掛けた際に「ここがあの小田原市役所か」と思いながら市役所の周辺を何となく歩いたというだけで、「場所の下見」の準備行為をしたとされて、「憲法を暮らしに活かす会」のメンバー全員が一網打尽にこの共謀罪によって逮捕されるということがあり得ることとなります。
これでわかるように、「一般市民は対象になりえない」などというのは、全くの嘘であり、一般市民がいつ処罰の対象になるかわからないのです。
5 現代の治安維持法
「いつ処罰の対象になるかわからない」という恐怖は、市民の自由な思想や言論を萎縮させていきます。冒頭に書いたような治安維持法が猛威を振るっていた日本と同じ状態になっていくのは時間の問題となります。そうなってからでは遅いのです。もう、反対の声を挙げて集会やデモをしようにも、取り締まりを恐れる一般市民は、誰も参加してくれません。国民の思想の自由は失われます。
今止めなければ手遅れなのです。