歴史修正主義への痛撃

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年末・年始の休み中に、頼まれた書評を書くため、長谷部恭男・石田勇治共著の「ナチスの『手口』と緊急事態条項」(2017年8月刊 集英社新書)を読ませて頂いた。
安倍首相が、「年内発議を目指す」と言い、憲法「改正」が一層現実味を帯びてきた情勢に照らし、極めて重要な内容を持った本と言うべきである。残念ながら、書評の方は、与えられた紙数の関係で、この本の重要な中身をきちんと紹介することが出来なかったので、このブログに、書評で言い足りなかったことを補足することとする。
5年前、麻生副総理・財務大臣が「ナチスの手口に学んだらどうかね」と発言したことは記憶に新しい。この時の麻生の発言をもう少し引用する。

「ヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われている。全然違いますよ。ヒトラーは選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。そして、彼は、ワイマール憲法という当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。憲法は、ある日気が付いたら、ワイマール憲法がいつの間にか変わっていて、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気付かないで変わった。あの手口学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。」

この本は、まず、この麻生発言の背後にある歴史認識の誤りを全部で245頁の著書の実に178頁を割いて徹底的に批判している。それは、「憲法について考えるには、日本だけでなく外国も含めて、憲法の歴史について勉強する必要があります。…抽象論は危険です。歴史に学ばなければなりません。」と長谷部氏が書き、「『ナチスの手口』と緊急事態条項ーいずれも自民党が企図する『憲法改正』(国制の転換)の本質を見抜き、警鐘を鳴らすため、私たちがぜひとも知らなければならない事柄である。」と石田氏が書いていることから読み取れるように、安倍を初めとする憲法改正論者達の歴史上の事実の歪曲・不都合な事実の黙殺などの歴史修正主義の言説が流布され、それに国民の中の一定数の人々が惑わされている現状に両氏が強い危機感を抱いていることのあらわれであろう。
まず、「ヒトラーが民主主義によって、きちんと議会で多数を握って」「政権を握った」という麻生の認識は、全くの誤りである。
ヒトラーが首相になり政権を握る直前の1932年11月の選挙(投票率80.6%)で、ナチ党が獲得した議席は33.1%に過ぎず、ナチ党と連立を組んだ国家人民党を合わせても4割を少し超える程度の議席でしかなかったのだから「議会で多数を握った」とは到底言えない。すなわち、「ドイツ国民の熱狂的な支持を背景にナチス独裁が成立した」とする世上流布されているイメージは、全くの誤りなのだ。
では、そのような少数与党が、政権を掌握できたのは、何故か。そこで使われた「手口」とは何か。それこそ、ワイマール憲法の緊急事態条項に他ならない。因みに、第一章の表題は、「緊急事態条項は、『ナチスの手口』」である。
33.1%の議席のナチ党、連立与党の国家人民党を合わせても4割少々という少数与党が政権の座につけたのは、ワイマール憲法に定められていた大統領の3つの権限(首相・閣僚の任免権、国会解散権、緊急措置権)の内の首相・閣僚任免権により、ヒトラーが首相として任命されたことによる。完全比例代表制の選挙制度をとっていたドイツでは、既に、それ以前から、大小多数の政党が議席を分け合い安定多数の支持基盤を持つ政権が成立しなくなり、このため政権は、強力な権限を持つ大統領に依存するようになっていた(大統領内閣)。1930年から1933年の間に国会で成立した法案は、98件、34件、5件と年を追う毎に激減していき、代わりに大統領緊急令は、5件、44件、66件と急増して、この間の政権は、そうした大統領緊急令によって辛うじて維持されていたのである。こうした事態は、ワイマール憲法の予定するものではなかった。憲法48条の定める大統領緊急措置権は、あくまで「公共の安全及び秩序に著しい障害が生じ、またはそのおそれがあるとき」に「公共の安全及び秩序を回復させる」ための緊急時の一時的な措置権として予定されていたものだからである。しかも、同条4項は「詳細な規定は国会の制定する法律によって定める」としていたが、そこで予定されていた法律がまだ制定されていないということから、大統領の権限を規律する法律が存在しない以上、何が「公共の安全及び秩序への著しい障害」にあたるか、そして何が「必要な措置」かは、大統領が判断するしかないとされてしまったのである。自民党改憲草案の緊急事態条項には、首相による緊急事態宣言の要件として「その他法律で定める場合」とある。すると、緊急事態条項が憲法に盛り込まれたが、その後「その他」を定める法律が成立していない状況が続いていた時に、同じ論理で、緊急時だから首相が判断することが許されると、任意の場面で緊急事態宣言をすることがありえることとなる。
話を戻すと、帝政復古派のヒンデンブルグ大統領がヒトラーを首相に任命したのは、ヒトラーに3つの役割を期待したからと言われる。
一つは、ワイマール憲法の議会制民主主義に終止符を打つこと。
一つは、共産党の勢力を粉砕すること。
一つは、強いドイツを取り戻し、ヴェルサイユ体制を打破すること。
露骨な反ユダヤ主義者、レイシスト、反共主義者、民主主義も立憲主義も否定する扇動家であり、ナチ党の綱領で、ヴェルサイユ条約の破棄、領土拡張、大ドイツ主義、民族主義等々、要するに「ドイツ・ファースト」を掲げるヒトラーを政権に取り込むことで、こうした目標を実現しようとしたのである。
首相となったヒトラーは、大統領緊急令によって言論統制を始めるとともに、突撃隊(50万人)と親衛隊(5万人)の2つの暴力組織を巧妙に警察官の補充要員に宛てて公権力の一部に組み込みナチに反対する勢力への容赦無い暴力的な攻撃を進めていき、更には、1933年2月27日のいわゆる「国会議事堂放火事件」を口実に、「国民と国家を防衛するための大統領緊急令」をヒンデンブルグ大統領に出させている。その冒頭には「共和国憲法第48条第2項に基づき、国家の安全を危険にさらす共産主義者による暴力行為からの防衛のため、次のことを命ずる」と記され、その1項に、ワイマール憲法の人身の自由、意見表明の自由、集会の自由、結社の自由、通信の秘密、住居不可侵など7つの基本権の停止等が挙げられ、2項に、ラント(州)が必要な措置を取らないときは、共和国政府が州最高官庁の権限を一時的に行使できる(地方自治権の否定)が定められている。こうして、警察(その実体は突撃隊、親衛隊)によって、左翼などの反対勢力の活動家達は一網打尽にされ、暴力的弾圧が吹き荒れることになった。
そもそも、この大統領緊急令の口実とされた国会議事堂炎上事件は、現在では、突撃隊の一部によるフレームアップであったとされている。

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それはともかく、このようにして権力の基盤を暴力的に固めたヒトラーが、最後に大統領の持つ前記の大権を、大統領から取り上げ、自分の物にしてナチ独裁を完成させるために成立させたのが授権法である。ところで、授権法の議決には、国会議員の3分の2以上の出席と出席議員の3分の2以上の賛成が必要であったが、与党は3分の2の議席を持っていなかった。そこでヒトラーが取った手段は、前記の大統領緊急令によって共産党議員を拘束して国会から閉め出した上で、出席議員の過半数で議員運営規則を改定して「議長(当時の議長は、ナチのゲーリング)の認めない理由で欠席した議員は、出席とみなす」として、強引に授権法を成立させたのである。
授権法1条は「国の法律は、憲法に定める手続きによるほか、政府によってもこれを議決することができる。」とし、2条では「政府の議決した法律は、議会及び参議院の制度それ自体を対象としない限り、憲法に違反することができる。」と定めている。一見してあきらかな通り、これによってヒトラーは、万能の絶対権力を手にしたことになる。
ここまでの経過を見れば、「民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われている。全然違いますよ。」という麻生発言が、歴史の事実とは根本的に異なることは明らかである。ヒトラー政権は、徹頭徹尾民主主義を踏みにじり、ワイマール憲法の定める国民の基本権を否定(大統領緊急令第1項による停止)し、突撃隊や親衛隊による暴力によって成立していったのである。

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ところで、ここまで紹介してきた「国民と国家を防衛するための大統領緊急令」及び「授権法」の規定と、自民党改憲草案緊急事態条項とを比較すると、そこには、驚くほどの共通点がある。
先ず、大統領緊急令第2項には、ラント(州政府)の自治権の否定が定められている。これは、自民党改憲草案の緊急事態条項99条1項の「内閣総理大臣は、地方自治体の長に対し、必要な指示をすることができる」同条4項の「国その他の公の機関の指示には、何人も従わなければならない」との規定と軌を一にするものである。
また、授権法1条の「国の法律は、(中略)政府によってもこれを議決することができる。」との規定は、改憲草案99条1項の「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することが出来る。」と同じである。
更に、大統領緊急令1項による基本権の停止は、自民党改憲草案99条3項の「第14条(法の下の平等)、第18条(身体的拘束及び苦役からの自由)、第19条(思想良心の自由)、第21条(集会結社、出版その他表現の自由)その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。」との規定と軌を一にしている。「最大限に尊重」とあることで、ごまかされてはならない。これは、言い換えれば、これらの基本権も緊急事態宣言の下では制限されることを前提にするものであるし、ここに列記されている以外の基本権については、「最大限の尊重」すら必要とされないということを意味するからである。
ところで、授権法2条の「政府の議決した法律は、(中略)憲法に違反することができる。」との規定をみて、「ナチは何と乱暴なことを!」と驚かれた方も多いだろうが、驚くのはまだ早い。自民党草案の緊急事態条項が、憲法の定める国民の基本権を制限しあるいは停止する指示や政令の制定を認めているということは、日本国憲法が、基本的人権を「侵すことの出来ない永久の権利(11条、97条)」としていることに照らすなら政府に憲法に違反することを認めていることにほかならないからである。

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ヒトラーは、大統領緊急令によって政権の座についたが、それだけでは、国会や憲法を無視した法律(政令)制定権を手にすることが出来なかった。それを可能にしたのが、暴力と姑息な手段によって成立させた授権法であった。ところが自民党の改憲草案緊急事態条項は、そのような授権法をまたずに、憲法上の規定の中に、ヒトラーの授権法と同一の効力を有する規定を盛り込んでいることになる。自民党草案がヒトラーの更に先に行こうとしているというのは、この意味である。
こうみると、「ある日気が付いたら、ワイマール憲法がいつの間にか変わっていて、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気付かないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」という麻生の発言は、あながち麻生の歴史認識の誤りとも言い切れないとも思える。なぜなら、確かに、ワイマール憲法の基本的人権規定そのものについての改正手続は一切せずに、授権法という法律を制定することによって、憲法の基本的人権規定が事実上効力を失ってしまったからである。
そうすると「あの手口に学んだらどうかね」というのは、憲法の基本的人権に関する規定を正面から取り上げてその改正などしなくても、緊急事態条項さえ盛り込んでしまえば、国民の気付かない内に、同じ目的を達成できるではないか」という発言とみることも可能になる。
周知のように、自民党改憲草案では、基本的人権についても「改正案」が盛り込まれ「公益または公の秩序」による人権の制限をはかろうとしている。しかし、緊急事態条項を憲法に盛り込んでしまえば、「国家緊急時である」として政令や内閣の指示による基本的人権の制限あるいは停止が可能になるのだから、わざわざ憲法の基本的人権条項を改正する必要もないことになる。

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「年内発議」「2020年には新しい憲法を」とする安倍発言を受けて、憲法改正に関する報道が盛んになっているが、そこで主に取り上げられているのは、9条3項加憲論である。しかし、自民党筋が憲法「改正」の課題として掲げるものから、緊急事態条項の新設が外れたことは一度も無い。むしろ、緊急事態条項については、公明、維新、希望を始め民進の一部にも、これに賛成する動きがあること、国民の中にも、北朝鮮問題や、東日本大震災の経験などから、何が起こるかわからない、だから何が起こっても対処できるようにしておく必要があるという漠然とした気分があり、そこから緊急事態条項に賛成する人が少なからずいること等々からして、9条加憲以上に一旦発議されたら国民投票でも認められてしまう危険性がある。それゆえ、私たちは緊急事態条項への警戒を一層強める必要がある。長谷部・石田両教授が、昨年の夏に、このテーマでこの本を出しているということは、両教授からみても、今なにより警戒を要するのは、緊急事態条項であるとの認識があるということだと思われる。
長谷部教授の「憲法について考えるには、日本だけでなく外国も含めて、憲法の歴史について勉強する必要があります。…抽象論は危険です。歴史に学ばなければなりません。」との言葉に違わずこの本の白眉は、歴史に関する記述の部分であり、おそらく、ほとんどの読者は、この部分を読むことで、自分の歴史認識が、いかにあいまいで、誤りに満ちていたのかを痛感させられ、今までより更に深く具体的に緊急事態条項の危険性を教えられること必定であろう。
更にまた、そこで語られるナチス独裁を誕生させたドイツの歴史状況と、現在の日本の状況との余りの類似性(未来に希望を持てない若者、貧困の蔓延、社会を覆う閉塞感と政治不信、国会の空洞化、政治の劇場化・過激化、個人主義の否定、公益の強調、絆・献身・自己犠牲によって国民を「団結」させようとする動き、排外主義の横行、経済の見かけ上の好転、文化・芸術・芸能・娯楽も含めたあらゆる分野でのメディアを通じた国民世論の誘導等々)に身震いするような恐怖を覚えるのは、私だけではないであろう。
先に「国民の熱狂的支持がナチス独裁を成立させた」という世上流布されている歴史認識を紹介した。しかし、これも、前記のように、誤った認識であり、ナチス政権が成立する直前までは、ナチスの占めていた議席は33%に過ぎなかったのであった。それでも、私たちの記憶の中には、広場を埋めた膨大な数の市民たちが、ヒトラーの演説の一挙手一投足に「ジーク・ハイル!」「ジーク・ハイル!」と歓呼の声を挙げている映像が焼き付けられていて、そのためドイツ国民は熱狂的にヒトラーを支持していたのではないか、という印象が拭いがたく存在する。だが、それは、ヒトラーが独裁的な権力を握った後の映像である。一方での反対意見の完全な封殺、他方でのゲッペルスが主導する国民啓蒙宣伝省による報道から文化、芸術、芸能、娯楽まであらゆる分野で展開された国民世論の誘導によって作られたものにほかならない。それは丁度、かっての日本で、徹底的な皇民化教育と報道・芸術・文化・芸能などあらゆる分野で戦意高揚宣伝が繰り広げられた結果、例えば、南京占領のニュースに、何万もの市民による提灯行列が繰り広げられたりしたことと同じ問題である。そしてまた、そうした世論誘導が、今の日本でも、着々と進行しているのだ。
ヒトラーの首相就任から授権法制定まで50日、ナチ党以外の一切の政党を禁じてナチ党独裁が成立するまで半年、ヒトラーが大統領権限も一手に握る「総統」になるまで1年半である。因みに、ナチ党が33.1%の議席を得た選挙で共産党は16.8%の議席を得ている。これは、今の日本の第2党立憲民主の議席割合よりも多い。つまり、立憲民主よりも多い議席の政党も、授権法成立後僅か4ヶ月余で禁じられてしまったのである。この歴史の事実が示しているのは、ひとたび「彼らを通してしまう」と、後は一気呵成に進んでしまう可能性があるということに他ならない。
憲法の平和主義、民主主義、基本的人権は、歴史の中から国民が選び取ってきたものであるとする両教授が、「我々が愛すべき『国』とは、我々の憲法の基本原理にほかならない。」と書くとき、それは、「愛国」を口にして憲法の根本を変えようとする改憲勢力の主張の根本的な矛盾(憲法、ひいては国に対する背信性)への痛烈な批判に他ならない。そしてそれはまた、私たち国民に対する「平和主義、民主主義、基本的人権の諸原則は、多様な価値観を持った個人が、それぞれ公平に尊重される社会を実現しようとする憲法原理だけど、あなたたちは、それを捨てるのですか」という問いでもある。
おそらく、明治維新と敗戦の2つのエポックにつぐこの国の歴史の重大な転換点となるであろうこの1両年、私たちが、正しく事態に対処するために、是非とも知らなければならない必読書と言えよう。

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こたつの想い出

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急に寒くなり、テレビで、炬燵(こたつ)をセールスポイントにして繁盛している居酒屋の話題が取り上げられていた。それで、自分の子どもの頃のことを色々思い出した。長野の冬は、冷え込みがきつく、朝起きると布団の首周りの部分に霜がついていて、湯たんぽのお湯で顔を洗ったあと使った手拭いを残りのお湯ですすいで絞って干そうとして、パンパンと水気を切ると、直ぐに裾の方から凍ってしまうほどだった。窓ガラスには、美しい霜の花が咲いて、やがて差し込んでくる朝日があたるとその部分から、少しずつ溶けて消えていった。それが惜しくて、薬品で葉脈だけにした木の葉を、その上に置いて日の光を当てると、全体が青く色が付き、そこに葉脈部分だけ白く残る用紙(多分、今から思うと青焼き用紙のようなものだったろう)を窓ガラスの手前側に貼り付けて、霜の花を用紙に焼き付けられないだろうかと試みたことがある。もっとも、当然といえば当然ではあるが、焼き付けのためには日の光が必要なのに、その日の光は、肝心の霜の花を溶かしてしまうのだから、この試みが成功するはずもなく、紙は全体が青く変色するばかりだった。
そういう寒い日々の中でも、暖房は、炬燵と火鉢のみしかなかったから、寒さが厳しいときには、火鉢にまたがる(股火鉢)か、炬燵の中に肩まで潜り込むしかなかった。ところで、その炬燵は、炭から炭団(たどん:炭の粉を丸く固めたもの)、そして練炭と少しずつ変わっていった。炭熾(おこ)しは、母がほとんど毎日のように残業をしていたこともあり、私と兄の仕事だった。炭熾しは、先ず七輪で薪を焚き、その上に炭(後に炭団や練炭)を置いて、それに火がついたら、炬燵の灰の真ん中を掘ってそこに炭を入れるというもので、七輪での炭熾しは屋外での作業となるので、子どもにとっては結構きつい仕事であった。
あれは、いつだったか。長野で待ち合わせて母と兄と私の3人で千石の映画館で映画を見たことがある。長野で待ち合わせたということからすると、多分母が日直で休日出勤した日だったのだろう。何を見たかは覚えていない。待ち合わせ場所にやってきた母は、手にいつものバッグだけでなく、何やら包装されたものを持っていた。
「かぁちゃん、なに?それ」
「ふふふ。いいものよ。後で家に帰ったら見せてあげる。」
ニコニコしながらも母はもったいぶってしまって、なかなかそのなかみを教えてくれない。
そうなると、ますます早くなかみを知りたくなるというもので、映画館に入っても映画そっちのけで、「ねぇ、なに?なに?」としつこく聞き続け、根負けした母は、映画館の椅子の下でそっと包みを開いてなかみを見せてくれながら「電気炬燵よ」と教えてくれた。
もう、それからは、嬉しくてワクワク、ドキドキしてしまい、一刻も早く家に帰って電気ごたつを確かめたくて、映画のなかみは全く頭に入ってこなかった。
家に帰って、こたつの中に電気炬燵をセットして、コンセントに繋ぎ、スイッチを入れた途端、赤外線ヒーターの赤い光が周囲を照らし、差し伸べた手に伝わるその暖かさに、歓声を挙げたものだ。
あのときの電気炬燵の暖かさは、貧しい生活の中でやりくりしながら、子ども達の負担を少しでも減らそうとしてくれた母の優しさのぬくもりでもあった。
電気炬燵を買う、というそれだけを取り上げると何ということもないことかもしれない。それでも、火鉢の代わりに石油ストーブを買ったり、七輪の代わりに石油コンロを買ったり、正月に新しい足袋やセーターを買ってくれたりという1つ1つのことが、当時の私たちにとっては、嬉しく、幸せを感じる一時であったことは間違い無い。そうした積み重ねがあったから、貧しさにくじけることも、いじけることもなく、生きてくることができたのではないかと思う。
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座間の事件から、少し調べて見た。
日本の平成26年の自殺者は、24,000人を超えている。行方不明者が8万5,000人近くであることからすると、実際の自殺者は、もっと多いと推測される。行方不明者の内、10代と20代が合計39.1%も占めている。33,000人以上の若者が毎年行方不明になっている勘定だ。
単身世帯の46.4%、2人以上世帯の31.2%は、将来のための貯え(預貯金や有価証券など)を全く持っていない。これは、リーマンショック当時(2009年)のそれが、それぞれ29.9%、22.2%であったことよりも更に悪化している。
所得格差を表すジニ係数は、40%以上は、社会騒乱警戒ラインとされているが、日本は37.9%になり、戦後最高の格差となっている。
それが国民総所得名目GNI世界3位のこの国の現状なのだ。無惨としかいいようがない。
私は、「私は日本国憲法です」の中で、友人が、学習会に来ていた青年から「だって、俺らが、こんな状態なのは、憲法のせいじゃないか」と言われて呆然としたというエピソードを紹介した。
たしかに、この無惨な状況に置かれている人達にとって、「憲法があなたたちを守っている。守ってくれる」などと言われても、到底受け入れられないであろう。例えば、大阪の府立高校で、茶髪を染めろと、執拗に強要された女子生徒がいる。同じ高校では、憲法の教育もしていることだろう。当然そこでは、憲法の3原則は、平和主義、国民主権、基本的人権であると教師は生徒に教えているはずである。その同じ教師が、茶髪の生徒に、髪を黒く染めろと強要しているのだ。この女子生徒にとって、憲法の3原則を教える教師が、自分に、理不尽なことを強要するのだから、「憲法が守ってくれる」などとは到底思えないことは明かではないだろうか。
こうして絶望的なまでに無惨な状況におかれている人々には、「今の社会を変える」という言葉だけが、耳に届き、心に響くことになる。何故、何を、どう変えるのかということよりも、とにもかくにも「変える」「変えて欲しい」という思いが、小泉や、維新や、都民ファーストに対する「何か変えてくれそうだ」という思いとなって「風」を生み出し、安倍の空疎な「変革」に惹きつけられているのではないのか。
そうだとするなら、こうした無惨な状況を1つ1つ憲法を武器にしながら正していくための取り組みを強めていくこと、そのことを通して「憲法こそが国民の生活と権利を守る武器なのだ」という実感を拡げていくことこそ、今最も必要なことなのではないだろうか。