じじとばばの会話

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じじ:佐川の証人喚問に、日当が出るんだって。
ばば:ええー!いいな。ワタシ、1年365日24時間、いつでも何度でもオッケーよ。
じじ:ふふっ、ばばを証人喚問しても、何も出てこないけどね。
ばば:だって、何も出てこないのは、安倍だって、佐川だっておんなじじゃない。嘘を言いまくって、白を切り通して、都合が悪くなると「記憶にございませーん」って。それで日当16,000円って、粘って、粘って、1ヶ月も証人喚問を続けて貰ったら48万円だものね。こんなおいしい話、な・い・じゃ・な・い。
じじ:はは、何をいってるだか
ばば:ワタシ 病弱なんで、タクシーで行きまーす。いやタクシーじゃなくってぇ、首相たちが使っている黒塗りの車がいいかなぁ。それでぇ、自宅前まで送迎して貰いたいわね。
じじ:ばかなこと言ってるんじゃないよ。黒塗りの車って、ばばには、霊柩車が差し向けられるかもよ。
ばば:それはかんべんして。
じじ:冗談は別にして、この人(国会で「佐川事件」と質問した自民党議員)、恥ずかしくないのかね。ばばの好きな一茂さんだって、書き替え問題も重要だけどあくまで本丸は、8億円の値引き問題だって、わかってるというのに、国会という場で、佐川事件なんて言葉を作ってまで、安倍にこびる姿勢を露骨に示してね。
ばば:自分のことしか考えてないからよ。自分個人の出世や、利益そのために誰にすり寄っておいた方が良いか、そういうことしか考えてないからじゃないの。
じじ:それにしても、「すまじきものは宮仕え」というけど、ほんとにそうだね。あんなに必死になって安倍を守ろうとしていた佐川さんが、都合が悪くなるとバッサリ切られるだけでなく、全ての責任を押しつけられようとしているんだからね。だいたい、8億円の値引が行われた当時の理財局長は、佐川さんではないのだから、そこに全ての責任を押しつけるなんて無茶もいいところだよね。
ばば:必死になって安倍を守ろうとしてるっていうことでいえば、この田崎さんもそうよね(丁度、テレビの画面に田崎氏が出ている)。わたし、この人が出るのは、かえって面白いと思う。だって、この人がしゃべることは、そのまま安倍の言いたいことじゃない?わかりやすくて、だから、この人がしゃべることで、一茂さんが、みんなにわかりやすく、問題点を指摘できるようになるからね。
じじ:たしかに。
「良い土地だから前に進めて」というのは、籠池氏の話だけだっていうけど、その籠池氏の話と時期を接して、安倍昭恵付秘書の谷査恵子氏から、財務省に「どうなってるの?」と問い合わせがされ、それに財務省側が懇切丁寧な回答をしている事実が、今回公開された「決裁文書」には、一言も触れられていない。まだ、資料を隠しているとしか考えられないよね。それはともかく、総理夫人秘書から「どうなってるのか」と問い合わせがされたという事実は、財務省側からすれば、総理夫人からの圧力以外のなにものでもないよね。政治家の秘書が「私は、国会議員の〇〇の秘書だけど、お宅のやっているこれこれの事業だけどね。」と役所に問い合わせをしてきたときに、役所が、「これは〇〇議員の御意向とは無関係」なんて、考えないよね。政治家のよくやる、支持者の交通事故のもみけしだって、議員自身が直接動くのではなくて、そういうことは秘書がやるものだしね。それなのに、「今回公開された文書によれば、これはもう、私や私の妻が関与していないことははっきりした」なんて良くそういうことが言えるよね。

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(と、画面は変わって伊調馨さん問題での至誠館学長の記者会見に)
じじ:うわっ!何を言ってるんだか。パワーが無いからパワハラなんて出来ないだって。こんな理屈が罷り通るなら、ほとんどのパワハラは無いことになっちゃう。だって、係長や、課長、部長なども、社長から「こうしろ」と言われたら、それに従う程度のパワーしかないんだからね。
ばば:強化本部長にパワーが無いなら、パワーの無い人がどうやって選手を強化するというのかしらね。こんな人が学長を務めている大学の学生がかわいそうね。
じじ:学生たちが、学内で抗議行動を起こさないものかね。
ばば:自分の大学の学生は、そういうことはしないと思ってるから、記者会見を開いて、こんな馬鹿げた発言をとくとくとして出来るんじゃないの?
じじ:つまり、自分の大学の学生を馬鹿にしてるってこと?
ばば:そう。大学の評判を下げるというけど、誰よりもこの人自身が、大学の評判を地に落としているよね。
安倍首相、池坊保子、この至誠館の学長…この人達みんな共通してるね。自分が一番偉いと思ってるんじゃないかしら。

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こたつの想い出

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急に寒くなり、テレビで、炬燵(こたつ)をセールスポイントにして繁盛している居酒屋の話題が取り上げられていた。それで、自分の子どもの頃のことを色々思い出した。長野の冬は、冷え込みがきつく、朝起きると布団の首周りの部分に霜がついていて、湯たんぽのお湯で顔を洗ったあと使った手拭いを残りのお湯ですすいで絞って干そうとして、パンパンと水気を切ると、直ぐに裾の方から凍ってしまうほどだった。窓ガラスには、美しい霜の花が咲いて、やがて差し込んでくる朝日があたるとその部分から、少しずつ溶けて消えていった。それが惜しくて、薬品で葉脈だけにした木の葉を、その上に置いて日の光を当てると、全体が青く色が付き、そこに葉脈部分だけ白く残る用紙(多分、今から思うと青焼き用紙のようなものだったろう)を窓ガラスの手前側に貼り付けて、霜の花を用紙に焼き付けられないだろうかと試みたことがある。もっとも、当然といえば当然ではあるが、焼き付けのためには日の光が必要なのに、その日の光は、肝心の霜の花を溶かしてしまうのだから、この試みが成功するはずもなく、紙は全体が青く変色するばかりだった。
そういう寒い日々の中でも、暖房は、炬燵と火鉢のみしかなかったから、寒さが厳しいときには、火鉢にまたがる(股火鉢)か、炬燵の中に肩まで潜り込むしかなかった。ところで、その炬燵は、炭から炭団(たどん:炭の粉を丸く固めたもの)、そして練炭と少しずつ変わっていった。炭熾(おこ)しは、母がほとんど毎日のように残業をしていたこともあり、私と兄の仕事だった。炭熾しは、先ず七輪で薪を焚き、その上に炭(後に炭団や練炭)を置いて、それに火がついたら、炬燵の灰の真ん中を掘ってそこに炭を入れるというもので、七輪での炭熾しは屋外での作業となるので、子どもにとっては結構きつい仕事であった。
あれは、いつだったか。長野で待ち合わせて母と兄と私の3人で千石の映画館で映画を見たことがある。長野で待ち合わせたということからすると、多分母が日直で休日出勤した日だったのだろう。何を見たかは覚えていない。待ち合わせ場所にやってきた母は、手にいつものバッグだけでなく、何やら包装されたものを持っていた。
「かぁちゃん、なに?それ」
「ふふふ。いいものよ。後で家に帰ったら見せてあげる。」
ニコニコしながらも母はもったいぶってしまって、なかなかそのなかみを教えてくれない。
そうなると、ますます早くなかみを知りたくなるというもので、映画館に入っても映画そっちのけで、「ねぇ、なに?なに?」としつこく聞き続け、根負けした母は、映画館の椅子の下でそっと包みを開いてなかみを見せてくれながら「電気炬燵よ」と教えてくれた。
もう、それからは、嬉しくてワクワク、ドキドキしてしまい、一刻も早く家に帰って電気ごたつを確かめたくて、映画のなかみは全く頭に入ってこなかった。
家に帰って、こたつの中に電気炬燵をセットして、コンセントに繋ぎ、スイッチを入れた途端、赤外線ヒーターの赤い光が周囲を照らし、差し伸べた手に伝わるその暖かさに、歓声を挙げたものだ。
あのときの電気炬燵の暖かさは、貧しい生活の中でやりくりしながら、子ども達の負担を少しでも減らそうとしてくれた母の優しさのぬくもりでもあった。
電気炬燵を買う、というそれだけを取り上げると何ということもないことかもしれない。それでも、火鉢の代わりに石油ストーブを買ったり、七輪の代わりに石油コンロを買ったり、正月に新しい足袋やセーターを買ってくれたりという1つ1つのことが、当時の私たちにとっては、嬉しく、幸せを感じる一時であったことは間違い無い。そうした積み重ねがあったから、貧しさにくじけることも、いじけることもなく、生きてくることができたのではないかと思う。
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座間の事件から、少し調べて見た。
日本の平成26年の自殺者は、24,000人を超えている。行方不明者が8万5,000人近くであることからすると、実際の自殺者は、もっと多いと推測される。行方不明者の内、10代と20代が合計39.1%も占めている。33,000人以上の若者が毎年行方不明になっている勘定だ。
単身世帯の46.4%、2人以上世帯の31.2%は、将来のための貯え(預貯金や有価証券など)を全く持っていない。これは、リーマンショック当時(2009年)のそれが、それぞれ29.9%、22.2%であったことよりも更に悪化している。
所得格差を表すジニ係数は、40%以上は、社会騒乱警戒ラインとされているが、日本は37.9%になり、戦後最高の格差となっている。
それが国民総所得名目GNI世界3位のこの国の現状なのだ。無惨としかいいようがない。
私は、「私は日本国憲法です」の中で、友人が、学習会に来ていた青年から「だって、俺らが、こんな状態なのは、憲法のせいじゃないか」と言われて呆然としたというエピソードを紹介した。
たしかに、この無惨な状況に置かれている人達にとって、「憲法があなたたちを守っている。守ってくれる」などと言われても、到底受け入れられないであろう。例えば、大阪の府立高校で、茶髪を染めろと、執拗に強要された女子生徒がいる。同じ高校では、憲法の教育もしていることだろう。当然そこでは、憲法の3原則は、平和主義、国民主権、基本的人権であると教師は生徒に教えているはずである。その同じ教師が、茶髪の生徒に、髪を黒く染めろと強要しているのだ。この女子生徒にとって、憲法の3原則を教える教師が、自分に、理不尽なことを強要するのだから、「憲法が守ってくれる」などとは到底思えないことは明かではないだろうか。
こうして絶望的なまでに無惨な状況におかれている人々には、「今の社会を変える」という言葉だけが、耳に届き、心に響くことになる。何故、何を、どう変えるのかということよりも、とにもかくにも「変える」「変えて欲しい」という思いが、小泉や、維新や、都民ファーストに対する「何か変えてくれそうだ」という思いとなって「風」を生み出し、安倍の空疎な「変革」に惹きつけられているのではないのか。
そうだとするなら、こうした無惨な状況を1つ1つ憲法を武器にしながら正していくための取り組みを強めていくこと、そのことを通して「憲法こそが国民の生活と権利を守る武器なのだ」という実感を拡げていくことこそ、今最も必要なことなのではないだろうか。