「行ってきまーす」
夕飯を食べ終わるとすぐに、優太は、兄と一緒に玄関を出た。日が沈んで間もない外は、薄暮の時間で、辺りを包むうっすらとした闇の底に、昼の日差しに溶け残った雪が、ぼおっと白く見えている。
「ううっ。寒っ!」
日が沈むと急激に気温が下がる。
兄と2人、いつもの通学路をめがね橋を目指して歩き出す。
今日は、どんと焼きの日だ。めがね橋のたもと付近にちょっとした空き地があり、そこに熊手や、門松など正月飾りを積み上げて燃やす行事だ。
当時、子どもにとって、晩ご飯を食べたあと、家から外に出ることが出来たのは、1年の内、数えるほどしかない特別の日であった。私の場合は、
① 学校の校庭で巡回映画を上映する日
これは、大体夏の夜だった。校庭に大きなスクリーンを立てて、そこに映画を上映するのだ。
② えびす講の花火の日
記憶に誤りがなければ、毎年初冬の頃だったと思う。昼は、えびす講の安売りがあり、母は、この日に、私たち兄弟に、新しいジャンパーを買ってくれたりしていた。そして、夜になると、花火が上がるので、夕食後、霜田商店の裏手に広がる田んぼに出かけて見物したのだ。因みに、昨年(2019年)は、台風被害の影響もあって、花火大会は中止になっている。
③ そして、これから話すどんと焼きの日
程度なのだ。
ただし、母と私と兄の3人で、夕食後のひととき、「あみだくじ」をして、「お金を出す人」「買いに行く人」を決めて、霜田商店までお菓子を買いに外に出るということはあったが、これは外に出るとは言っても、ほんの10分か20分の話だ。それでも、ポツン、ポツンとある裸電球の街灯の周りを離れてしまうと、月の無い夜など、道の両脇に闇が広がり、ドキドキしながら、お菓子を買いに行ったものだ。そんな怖い思いをしてまで、お菓子を買いに行ったのは、3人であみだをし、お菓子を買って一緒に食べるというそのことが楽しかったからだ。まだテレビが無い時代。娯楽といえば、ラジオを聞くか、トランプ・双六・百人一首だった。とはいえ、トランプ(主に遊んでいたのはツー・テン・ジャック、ナポレオン、ポーカー、セブン・ブリッジだった。)は、私たち兄弟にとっては、楽しくて、いつまでもやっていても飽きないのだが、母は、途中ですぐにコックリコックリ始めてしまう。今から思えば、毎日朝7時半頃には家を出て(ということは毎朝5時半か6時には起床していたことになる)、帰ってくるのは連日の残業で夜7時半過ぎで、それから、食事の用意をして…というわけだから、夕食が終わったあと夜も9時近くになれば、眠くもなるはずだ。食事の用意にしても、今のようにスイッチを押せばご飯が炊けるわけではなく、七輪に火を熾(おこ)すことから始めなければならないのだ。休日は、休日で、たらいで洗濯し、繕い物をし…さぞびっしりと疲れが貯まっていたことだろうと思う。
とはいえ、当時は、そんなことまで考えが及ばず、母が眠そうにしていることで、3人の楽しい時間が終わってしまうのではという気持の方が勝ち、そうすると「ねぇ、あみだしよう!」と、トランプに飽いて眠そうにしている母の気を引いて、楽しい時間を少しでも長くしようとしたのだ。だから、あみだくじの結果「買い物に行く人」に当たっても、「暗くて怖いから嫌だ」などとは口が裂けても言えない。言った途端、「そうね。じゃあ、もう寝ようか」となってしまう。
また話が逸れた。戻そう。
家を出て歩き始めると、足もとでシャリ、ザクッと小気味よい音がする。昼の日で溶けてシャーベット状になった雪を踏む音だ。
少し歩いていると、兄と自分の2人の足音とは別の足音が、2つ後ろから近づいてくる。
シャリッ、ザクッ
シャリッ、ザザッ、
シャリッ、ザクッ
ザザザッ、ズザッ
「待ってよ」
後ろからの声に振り返ると、昭夫ちゃんと和男ちゃんだ。
「どんと焼きだろ。一緒に行こう。」
今日は、めがね橋のたもとの空き地が目的地だから、いつもの通学路の前田鉄工所の北の角を左に折れる道ではなく、そのまま真っ直ぐ進み、ジャム工場の前を通って、往還に突き当たるとそこで左に曲がるというコースだ。
なにせもう60年以上も昔のことだから、自分が「こうだった」「ああだった」と思っている記憶が、真実かどうか、はなはだ心もとないものがある。そこで、例によって、調べてみたら、どんと焼きは、長野地方では「どんど焼き」が一般的呼び方とあり、また神事の1種として、神社の境内でやることが一般的という記載もある。しかし、私が記憶しているめがね橋のたもとの広場(前回の記事の絵図面参照)には、付近に神社があったという記憶は無い。
どんと焼きをする日は、1月の8日頃だったと記憶している。どんと焼きが終わると学校の冬休みも終わったのだ。
会場の広場に着くと、すでにそこには、昼の内に、大人たちがつくった櫓(やぐら)がそびえている。高さは5メートルはあっただろうか。3本~4本の長い丸太を芯柱にし、材木を井桁に組んだ櫓の中や周囲には、各家庭から集められた松飾りや正月飾り、破魔矢などが積み上げられている。そうしたものの中に、だるまの姿も覗いている。
ざわざわという人の話し声や、子どもたちの興奮した声がだんだん大きくなって、気がつくと、櫓の周囲をたくさんの人が囲んでいる。
家を出た頃には、まだ薄暮で、うっすらと明るさが残っていたのだが、その頃には、すっかり暗くなり、すぐ隣にいる人の顔すら持ってきた懐中電灯で照らさなければ判別できなくなっている。それで、いたずらっ子は、顎の方から懐中電灯で自分の顔を照らし「おばけだぞー」と定番のおふざけを始めたりする。
そうこうするうち、人の輪の中から2、3人のおじさんが出てきて、何か口上を口にする。
さあ。いよいよ火入れだ。
おじさんたちの動きにつれて、櫓の中で、ぼおっと赤い炎が上がるのが見えると、周りの観客から、オオーッというようなどよめきが響く。お調子者の子らが、その炎に近づき、手をかざそうとする。「危ないから離れて」とおじさんが叫ぶ。
最初付いた小さな火は、大量の松の葉をいぶし、真っ白い煙をモクモクと吐き出して、そこここで、咳をしたり、「目が痛い」という声が聞こえる。
しかし、それもすぐに収まり、真っ白な煙の奥の方から赤みが差してきたと思うと、その直後、煙を吹き払うようにして、真っ赤な炎が力強く吹き出してくるのだ。
ワーッという歓声。
櫓を囲む人々の顔は一様に、炎の照り返しで赤く染まる。
炎に面している顔や、手、足、身体が、炎が発する熱にあぶられて熱くなる。
炎は、ゴウゴウと燃えさかり、ますます力を増し、渦を巻くようにして火の粉と共に天高く舞い上がっていく。
赤、橙(だいだい)、黄色、青、紫、白っぽい黄色…
炎は決して一色ではない。千差万別なのだ。それが、次々と色と形を変え、櫓にまとわりつき、あるいは櫓から離れ、芯柱の太い丸太すら飲み込んでいく。
時々、櫓の一部が、火の粉を辺りに播き散らしながら、燃え落ちる。その度に歓声が上がる。
細長い笹竹の先に、家から持ってきた餅を刺して、それを火にかざして焼いている人たちがいる。余りの熱で、気をつけていないと、餅は、あっという間に黒焦げになってしまう。真っ黒に炭化した部分を手袋で払い落としながら、頬張る。家で、火鉢の上で焼いた餅とは、なぜか違って感じる。
あの顔も、この顔も、炎の照り返しと、興奮で、赤く輝いている。
だが、興奮の時間も、いつまでも続かない。あれだけ勢いよく燃えていた火も、やがて少しずつ燃え尽きていき、それとともに背中側から、忘れていた寒気がやってきて、ブルッと身体を震わせる。それが潮時で、櫓の周りから、三々五々人々が去っていく。
優太も、兄や和夫ちゃん兄弟たちと連れだって家路についた。
来る時は、シャーベット状だった足元の雪も、その頃には、すっかり凍り付きカチンカチンになっている。
ガジッ、ガジッ
パリン、パキッ
歩く度に、氷を踏みつぶし、踏み割る音が足元で響く。
見上げると、空一面に無数の星がまたたいている。
漆黒の夜空でダイヤモンドのような輝きを放つ星々。
これで正月の休みも終わりだ。来週からは、また学校が始まる。
「ただいま」
家に帰ると、母が「寒かっただろ」と、お汁粉を用意してくれていた。