憲法に対するクーデター  自民党改憲案の本質   

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森友・加計問題、防衛省日報問題など、数々の問題で、隠されていた文書の「発見」によって、以前の説明の嘘が、次々に明らかになると、新たな嘘で、それを糊塗し、その嘘が、その後更に「発見」された「新文書」で露呈すると、また新たな嘘を重ねています。もはや、誰の目にも「彼」が裸の王様であることは隠しようが無くなっています。なのに、自公与党は、ごくごく一部の議員を除き、末端まで、そんな「裸の王様」を、いまだに支え続けているのです。
日大アメフト部問題では、大学・監督・コーチらに対して、学生たちや、保護者たち、更には、コーチの一部までもが、正面から、「嘘だ」と声を挙げていることと比較しても、余りにも異常なことが続いているというしかありません。
この異常さの背後にあるのは、次のようなことではないでしょうか。
今は、改憲勢力が3分の2以上の絶対多数を握っている絶好の、そしておそらく最後のチャンスの憲法改正の機会だ。だが、そうは言っても、いままだ50%を超える人達が憲法改正に反対していることからすると、そういう国民をたぶらかして、憲法改正賛成に投票させなければならない。そして、それができるのは「自分の任期中になんとしても憲法改正を成し遂げる。」と言い続け、数え切れない不祥事が明らかになっても、かっての「上佑」氏を上回る「あぁ言えば、こういう」詭弁、強弁、すり替えを平然と続けて鉄面皮ぶりを発揮している「彼」をおいてはいない。そういう日本会議をはじめとする改憲勢力の判断があり、それが、本来なら、とっくに、何度も与党内からも「安倍降ろし」の風が吹き荒れるはずの事態なのに、そうした動きを抑え込んでいるためではないでしょうか。 つまり、「憲法改正は遠のいた」という一部マスコミの観測は、楽天的に過ぎ、こういう事態だからこそ、彼にとっては、歴史に数々の汚点を残して去るのではなく、歴史に名を残す起死回生の手段として憲法改正への執念は、一層燃えさかっているとみるべきではないでしょうか。

ところで、「憲法改正」は、憲法の根本原則を踏まえ、根本原則の枠内でしかなし得ないものです。憲法の根本原則とは、平和主義、国民主権、基本的人権の3つです。
憲法前文の、国民主権は人類普遍の原理であり「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」との記載や、基本的人権は、「侵すことのできない永久の権利」であるとする第11条や97条の規定などはそのことを端的に示しています。平和主義が、根本原則であることは、前文や9条から明かです。
ですから、根本原則を変えてしまうような「憲法改正」は、憲法第96条の改正手続規定に基づいてすることは、許されないこととなります。
根本原則を変えてしまうような「憲法改正」は、改正ではなく、全く別の原則による新しい憲法の制定にほかなりません。それは、本質的には、革命やクーデターによって、それまでの政権とは、完全に断絶した権力を握った者たちによってなされる新憲法の制定と同視すべきものなのです。
自民党などの改憲派は、盛んに「日本国憲法は70年以上1度も改正されていない。諸外国では、憲法は頻繁に改正されている。」と主張しています。確かに、例えば、ドイツでは基本法が60回改正されています。しかし、その60回の改正は、全てドイツ基本法の基本原則の枠内でのものであり、基本原則そのものにふれるものはありません。ドイツ基本法には、基本原則の改正は許されないという規定があります。これは、ちょうど日本国憲法前文に「これ(人類普遍の原理としての国民主権)に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」と記され、更に、11条、97条に基本的人権を「現在および将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として与えられたもの(信託されたもの)」と定めていることと同じです。つまり、憲法の基本原則は、その憲法に基づく改正が、どこまで許されるのかという限界を示しているのであり、その限界を超える「改正」は、憲法改正手続によってもすることができないのです。

さて、そこで、自民党の改憲案です。
自民党改憲案は、次の4つに絞られています。
1 9条の2加憲
2 緊急事態条項新設
3 合区解消
4 教育
一つ一つ見ていきましょう。

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第1「9条の2」加憲案の問題点
先ず、9条の2加憲案です。これは、現在の9条はそのまま残したうえで、新しく次の条文を付け加えるというものです。

9条の2
1 前条の規定は、我が国の 平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督官とする自衛隊を保持する。
2 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより国会の承認その他の統制に服する。
1「自衛隊の任務と役割は何の変更もない」「自衛隊違憲論に終止符を打つ」に隠された卑劣な罠
この「加憲」について、安倍首相は、これによって「自衛隊の任務と役割はこれまでと何ら変わるものではない」、これは「自衛隊違憲論に終止符を打つ」ものだと言っています。
実はここに重大なごまかし・ペテンが隠されています。
「これまでと何ら変わらない自衛隊の任務と役割」と言われると、おそらくほとんどの国民は、戦後自衛隊ができてからの自衛隊の任務と役割をイメージするのではないでしょうか。つまり、専守防衛を大原則とする自衛隊です。
しかし、それは大きな間違いです。安倍首相がいう「これまでの自衛隊の任務と役割」は、2015年9月に強行採決によって成立した安全保障法制が定めている「任務と役割」だからです。
つまり、「これまでと何も変わらない」と言われ、それをこれまでの専守防衛の自衛隊としての任務と役割が変わらないのかと誤解した国民が、「それならいいか」と思って、この加憲に賛成してしまうと、それは、あの違憲の安全保障法制を合憲とする加憲に賛成したことになってしまうのです。
このことは、自民党9条の2の斜体文字の部分と、強行採決で成立した新武力攻撃事態法に集団的自衛権の行使としての武力行使や防衛出動を認める場合として新たに定められた「存立危機事態」の「日本と密接な関係にある他国に武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由幸福追求権が根底から覆される明白な危険がある事態」の斜体文字の部分を比較すれば明らかです。
かたや「国の…独立を守り、国民の安全を保つ」、かたや「日本の存立が脅かされ、国民の生命等が覆される」。言葉こそ微妙に違っていても両者が完全に呼応し共鳴しあっていることは歴然としています。つまり、9条の2が、憲法に新たに盛り込まれてしまうと、集団的自衛権の行使を認めた安全保障法制は違憲だという批判に対して「そんなことはない。憲法には、国の独立を守り、国民の安全を守るためには、必要な自衛の措置をとることを妨げないと定めているではないか。そして、あなたたちが非難する武力攻撃事態法が定める『存立危機事態』は、『日本の存立が脅かされ』『国民の生命等が根底から覆される』事態なのだから、憲法が定める『日本の独立が脅かされ国民の安全が脅かされる』ような事態にほかならない。だから憲法9条の2に何ら抵触していないのだ」とされてしまうことになるのです。
何も変わらないのでは無いのです。9条の2加憲によって、これまで憲法の大原則である平和主義によって認められなかった集団的自衛権が憲法上認められてしまうことになるのです。

2 「必要な自衛の措置」ー消えた「必要最小限度の自衛の措置」
次の問題は、案の「必要な自衛の措置」の文言です。実は自民党内部の議論では、当初、ここは「必要最小限度の自衛の措置」という表現でした。それが、議論の中で、「これではこれまでと何も変わらないじゃないか」という意見が出されて、「最小限度」の文言が消えたという経緯があります。
ここにも、重大な問題が隠されています。
歴代の政府は、憲法9条の下で自衛隊を持つことを合憲とする根拠として、2つのことを言い続けて来ました。
一つは、あくまで自衛隊は、自衛のためであるということ。つまり専守防衛です。
もう一つは、従って自衛のための最小限度の防衛力しか持たないということです。
この2つを掲げることで、「侵略のための軍隊ではないのだ、あくまで自国防衛のためのものなのだから、憲法9条に違反しない」という主張を辛うじて支えてきたのです。
当初の「必要最小限度の自衛の措置」という表現に対して「これではこれまでとかわらないじゃないか」と批判した人たちは、このことを良くわかっているのです。集団的自衛権を行使でき、海外派兵が可能な自衛隊に変えるためには、「必要最小限度」なんていう枠は取っ払う必要があるというわけです。
「最小限度」が条文から消えることで、「自衛の措置」には、何の制限・限定も無くなります。軍備拡張に歯止めが無くなるのです。現に、5月25日、自民党は、政府が年末に策定する新たな防衛大綱と中期防衛力整備計画(中期防)への提言をまとめ、その中で、防衛費の対GDP(国内総生産)比で、ほぼ1%という枠を撤廃するという動きがあると報じられています。憲法を改正する前から、こうなのです。憲法が改正され「必要な措置」と書き込まれてしまったら、どうなるか推して知るべしです。

3 繰り返しますが、要するに、終止符を打たれるのは、自衛隊違憲論ではなく、集団的自衛権違憲論であり、集団的自衛権に基づく武力行使を認めた武力攻撃事態法などの安全保障関連法違憲論なのです。
そして、それは、日本国憲法の3大原則の一つである平和主義を根底から破壊してしまうものなのです。

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第2 緊急事態条項の問題点
次に、緊急事態条項です。自民党の改憲案は、新たに次の2つの条文を憲法に盛り込むというものです。

第73条の2
1 大地震その他の異常かつ大規模な災害により国会による法律の制定を待ついとまが無いと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。
2 内閣は、前項の政令を制定したときは、法律の定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。

第64条の2
大地震その他の異常かつ大規模な災害により衆議院議員の総選挙又は参議議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任 期の特例を定めることができる。

一見すると、これは、平成24年に発表された自民党の憲法改正草案(以下「24年草案」と記す)に盛り込まれた「ナチスの手口を学んだ」ことが露骨にあらわれている緊急事態条項と比べると随分トーンダウンしたおとなしい条文案に変わっているように見えます。

しかし、みなさんがそういう印象を受けたとすれば、それは、この改憲案が狙う「印象操作」の罠にはまっているのです。
以下の記述の理解を助ける意味で、24年草案の緊急事態条項の抜粋を紹介しておきます。

第98条 1 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

▼ 2 略▼ 3 略▼ 4 略

第99条 1 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は、財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。

2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。

3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第14条、第18条、第19条、第21条そ の他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。

4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところによ り、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院 の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。
1 自然災害に限られているのか。
24年草案では、緊急事態宣言をすることができる場合として、①「我が国に対する外部からの武力攻撃」②「内乱等による社会秩序の混乱」③「地震等による大規模自然災害」④「その他の法律で定める事態」が挙げられていました。
今回の改憲案は、この内、①、②、④を無くして、③のみにしているように見えます。
でも、「大地震その他の異常かつ大規模な災害」という表現を良く読んでください。「その他の」とあることで、「大地震」に限られていないことは分かりますね。そして「自然災害」ではなく「災害」とあることで自然災害に限られていないこともわかりますね。人災、天災という言葉があるように、災害には、自然災害だけでなく、人為的な災害も含まれることは明らかです。24年草案の①は、「戦災」であり、②は社会騒乱による人災ですから、今回の改憲案は、決してこれらを排除していないことになります。
そして④の「法律で定める事態」について言うと、24年草案では、まがりなりにも、緊急事態宣言を発することができる場合については、予め法律で定めておく必要があるとしていたのに、今回の案では、「その他の」と憲法の条文に入れることで、その必要すらなくしているのです。「法律で定める」という言葉が、24年草案では、2回登場し、一つは、①から③のほかのどういう場合に緊急事態宣言を発することができるかは予め法律で定めるという箇所であり、もう一つは、緊急事態宣言発令の手順などについては、法律で定めるという箇所なのです。ところが今回の改正案では、内閣が政令を制定する手順等についてのみ「法律で定める」としているのです。
この違いは重大です。内閣は、内閣だけの自由な判断で、異常かつ大規模な災害が起こっていて、それに対処するには国会による法律の制定を待ついとまが無いと認めたら、政令(以下、この改正案に基づき発せられる政令を「緊急政令」と記す)を制定することができるのです。

2 緊急事態宣言は不要 常時与えられる緊急政令権
1で書いたこととも密接に関係していますが、 24年草案98条1項には、「これこれのときは、緊急事態宣言を発することができる。」と、緊急事態宣言発令の要件が記されていました。
今回の改憲案には、これにあたる条文がどこにもありません。比較してみましょう。
24年草案
①~④の要件にあたる事態の発生…要件については予め法律で定める必要有      ↓
内閣総理大臣による緊急事態宣言…手順等について予め法律で定める必要有

宣言に基づく効果の発生
政令制定権、財政処分権、自治体の長に対する指示権など

今回の改正案
「異常かつ大規模な災害により国会による法律の制定を待ついとまが無いと内閣が認める。

緊急政令の発布

どうです?違いが分かりましたか。24年草案と異なり、わざわざ「緊急事態宣言」をしなくても、いきなり緊急政令を発布できるのです。しかも、緊急政令を出すかどうかは、内閣の自由な判断で出来るのです。
これは、内閣が常に緊急政令権を持っていることを意味します。「常に」という点が重要です。「異常かつ…いとまが無い」と内閣が認めさえすれば良いのですから、緊急政令を発布するしないの判断は、内閣の自由なのです。
内閣は、「国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関」である国会を超越する伝家の宝刀のような権限を手にすることとなります。

3 24年草案の恐ろしい宣言の効果は無くなったのか?
24年草案では、99条に、緊急事態宣言発布の効果が記されていました。
・内閣は、法律と同一の効力を有する政令を制定できるようになる。
・首相は、財政上必要な支出その他の処分を行う権限を得ること。
・首相は、地方自治体の長に対して指示できるようになる。
・緊急事態宣言に関してなされる国その他の公の機関の指示には、何人も従わなければならなくなること。
これらは、独裁的な権限を内閣と首相に与えるもので、正に、ヒトラーの独裁の法的根拠となった授権法を「学んだ」ものに他ならないと多くの人の批判を浴びました。
だが、今回の改憲案には、こういう規定はありません。では、24年草案のような心配をする必要は無いのかというと決してそうではありません。
緊急政令は、憲法と法律に基づき内閣が出す命令です。(改憲案73条の2。1項「内閣は、法律で定めるところにより、…政令を制定することができる。」)ですから、まず、一般の政令と同じく、法的な効力を持つこと(つまり、国民は、これを守らなければならないこと)は言うまでもありません。「私は、道路交通法は国会で定められた法律だから守る(従う)けど、道路交通法施行令は、単なる政令だから守らない(従わない)」などというわけにはいかないことは分かりますね。
更に、緊急政令について定める法律では、おそらく、既存の他の政令や省令あるいは、法律との関係での優先性を認める条文(「憲法73条の2、1項に基づき発布される政令は、これと抵触する内容を持つ既存の法・政令等があるときは、これに優先することとする。」というような条文)が盛り込まれることでしょう。 つまり、24年草案の「指示」の言葉が消えていても、指示の代わりに、緊急政令を次々と出せば同じ目的を達成することが可能になるのです。

4 露骨なもの言いを、オブラートに包んだだけ
以上の通り、今回の改憲案の緊急事態条項は、24年草案が、余りにもあからさまに独裁政治志向を露呈してしまったことで国民各層の激しい批判を浴びたことから、批判を浴びそうな言葉を取り除き、オブラートに包んだものです。しかし、それは、よくよく読むと、24年草案が目指した内容の実現に何の障害も生じないものなのです。それどころか、緊急政令権を常時、内閣に与えているという点で、こうした規定を憲法に盛り込むこと自体、憲法の大原則(三権分立 国会の最高機関性)を否定するものですから、24年草案での緊急事態条項が、憲法の中に将来における憲法破壊の地雷を置くようなものであったことからすると、それよりも更に1歩先を行くものと言えそうです。

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第3 合区解消の問題点
合区解消のための憲法改正案は、憲法47条と92条を次のように変えることです。

第47条
1 両議院の議員の選挙について、選挙区を設けるときは、人口を基本とし、行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案して、選挙区及び各選挙区において選挙すべき議員の数を定めるものとする。参議院議員の全部又は一部の選挙について、広域の地方公共団体のそれぞれの区域を選挙区とする場合には、改選ごとに各選挙区において少なくとも1人を選挙すべきものとすることができる。
2 前項に定めるもののほか、選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。

第92条
地方公共団体は、基礎的な地方公共団体及びこれを包括する広域の地方公共団体とすることを基本とし、その種類並びに組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める。

1 憲法の基本原則=平等原則の否定
現在の憲法47条は、「選挙区、投票の方法その他両議院の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。」という極めてシンプルなものです。
シンプルだからといって、法律でどのように定めても良いということにはなりません。いうまでもなく、憲法の基本原則に背いてはならないからです。
この問題に関係する憲法の基本原則は、第14条の国民の平等権、第15条の公務員選定についての国民固有の権利・公務員は全体の奉仕者であるとの規定(これらは、基本原則の内の基本的人権にあたります)、そして、憲法前文冒頭の「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動する」との文言及び高らかにうたいあげている国民主権などです。
これらの基本原則から導かれるのは、国民1人1人が持つ選挙権・被選挙権は平等でなければならないという原則です。
まあ、ことあらためて原則などと言わなくても、例えば、50人のクラスで、何かの問題で決をとる際に、50人の内の、20人にはそれぞれ2票を与え、残りの30人にはそれぞれ1票を与えるなんてことをしたら、30人の方は、到底納得できないことはわかりますよね。一票の格差というのは、これと同じことなのです。例えば、10万人の選挙権者がいる選挙区に、1人の議員定数を割り振り、60万人の選挙権者がいる選挙区に2人の議員定数を割り振ったら、60万人の選挙区に住む住民は、10万人の選挙区の住民の3分の1の価値の選挙権しか与えられていないことになるからです。
この原則があるから、これまで数々の一票の格差是正訴訟で、裁判所が「違憲」あるいは「違憲状態」との判決を出してきたのです。
現在の47条がシンプルであるのは、選挙が憲法にかなう正当なものであるかどうかは、要するに、一票の価値が平等になるように、ただ、それだけを基準にそれ以外の余計なことを一切考慮しないで選挙区等を定めなければならないからなのです。シンプルであるのは必然なのです。
ところが、改正案は、ここに、参議院選挙における「1県最低1人」とか、 「行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案」するなどという全く異質の判断基準を持ち込むのです。これでは、投票価値の平等原則が脇に押しやられてしまいます。
例えば、60万人の選挙権者のいるA県に定数1人を割り振り、600万人の選挙権者がいるB県に定数3人を割り振ったら、一票の価値の差は、3.33倍以上になります。そこで、これに対して、「これでは投票価値の平等原則に反する」として訴訟を起こしても、「いや、憲法には、一都道府県につき1人以上とすることが認められているから、憲法違反ではない」とか、「行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案した結果、このような選挙区割と議員定数になったのだから、憲法違反ではない。」というような主張が可能になってしまい、最悪の場合は、今後は、一票の価値の不平等を是正するための訴訟を起こすことすらできなくなってしまいかねません。
このように、この改憲案は、憲法の基本原則である基本的人権から導かれる投票価値の平等という原則をなくしてしまうものなのです。

2 「全体の奉仕者」から、「一地域の奉仕者」へ
「1県1人以上」とすることには、もう一つ重要な問題が潜んでいます。
これは、「人口の少ない県からも、その県を代表する国会議員を選出できるようにする。」という考えに裏打ちされたものです。しかし国会議員を「その県を代表する議員」と位置づけることは、とりもなおさず、国会議員を「地域代表」と位置づけることになります。 憲法15条の公務員についての大原則(すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。)の真っ向からの否定です。

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第4 教育に関する改正案の問題点
改憲案は、現行の憲法26条1項、2項は、そのままにして、新たに3項として次の条文を加えることを骨子としています。

第26条3項  国は、教育が国民1人1人の人格の完成を目指し、の幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。

自民党やマスコミは、これを教育無償化のための改憲であるとしています。本当にそれが目的なのか見ていきましょう。

1 教育無償化のために憲法改正の必要は無い。
先ず、明かにしておく必要があるのは、教育無償化のために現憲法を改正する必要は全く無いという事実です。
現憲法第14条は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない。」と定め、26条は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定めています。
つまり「経済的関係によって差別されず」に「ひとしく教育を受ける権利を有する」のですから、こうした憲法の規定を手がかりに、教育無償化の法制度をつくることは、十分可能なのです。そもそも、改憲案の「経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保する」という文言は、現憲法の上記引用の規定に何一つ新しいことを付け加えていません。
現に、政府は、2019年10月から前倒しで幼保無償化を実施するとしています。対象となるのは、公立幼稚園・保育園に限られず、私立も含まれているのです。憲法を変えなくても幼児教育の無償化が出来ると政府は考えているのです。ならば、高等教育であっても同じはずです。

第1次安倍内閣が、強行採決して成立させた教育基本法改正でも、その4条(教育の機会均等)の1項には、「全て国民は、ひとしく、その能力に応じて教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位または門地によって、教育上差別されない。」とあり、更に3項には「国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。」と定めています。この「奨学の措置」には、限定は付されていません。つまり、「貸与奨学金」(返済の必要のある奨学金)である必要は無いのですから、「給付型奨学金」(返済の必要の無い奨学金)であっても良いことになります。ですから、給付型奨学金制度を充実していけば、教育の実質的な無償化は十分可能になるのです。

2 改正案は教育無償化とは言っていない。
そもそも、改正案のどこを読んでも、そこには教育無償化とは書かれていません。もし、本当に教育無償化を目的とするなら、こんなわかりにくい条文にせずに、シンプルに「国民全てに教育の機会均等を実効あらしめるため、教育は、全てこれを無償とする。」とでもすれば良いはずです。
とするなら、この改正案には、何か別の目的があると考えられます。

3 真の目的は、国家主義教育への布石を憲法に盛り込むこと。
別の目的が何かを考える手がかりは、改正案の「国の未来を切り拓く上で、極めて重要な役割を担う」という部分にあります。

問題は、この言葉を挿入することで、教育一般について、「教育は、国の未来を切り拓くためにある。」「国の未来を切り拓くために学ぶ(べきである)。」という価値観と性格付けが憲法の条文に明記されるという点にあります。
国民の中に、「自分は、国の未来を切り拓くために勉強するのだ」という人がいても、それは一向に差し支えありません。それと同時に、「自分が勉強するのは国の未来を切り拓くためなんかじゃない。それよりも、この宇宙がどういう成り立ちなのか知りたいという純粋な学問的興味からだ」とか「母子家庭で、苦労して自分を育ててくれた母に、恩返しするためだ」とか「手塚治虫がふんころがしが好きだったと知ったことをきっかけにファーブル昆虫記を読んで、昆虫の世界に惹きつけられたからその勉強をする」ということであっても、一向に差し支えないはずです。
それを憲法に、「教育が(は)、…国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものである」と、教育の役割を限定してしまおうというのです。
深読みじゃないかと思われるかも知れません。しかし、この改憲案を作成した人達は、24年草案を作成した人達と基本的に同じなのです。つまり、24年草案の根底にある思想を背景に、今回の改正案も作成されているのです。
24年草案では、憲法前文を次のように変えるとしています。

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

ここでは、私たち国民は、国家によって統治される存在であり、「国と郷土を守り」、「国家を形成し」、教育や科学技術の振興、活力ある経済活動により、「国を成長させ」、「良き伝統と国を末永く継承する」ものとして位置づけられています。この背後にあるのは、「国のために国民がある」という思想です。国民のために国があるのでは無いのです。
しかも、その「国」は、「長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国」なのです。

これに対し、第1次安倍政権によって改正されてしまう前の旧教育基本法前文には、次のように記されていました。

われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

「普遍的で個性豊かな文化」とあります。「普遍的」とは、世界中どこに行っても通用する文化であり、偏狭なものではない文化であるということですし、しかも、それが「個性豊か」であるということは、それは一つの色に染まるようなものではなく、国民の数だけバリエーションがあるような文化という意味です。
これに対し、改正教育基本法には、教育の目標の一つとして、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する…」ことが盛り込まれたのです。これと24年草案前文の「長い歴史と固有の文化」「良き伝統を継承する」には、共通した思想が流れていることはおわかりいただけると思います。
ですから、改憲案の「国の未来を切り拓く」をぼんやり読み過ごすわけにはいかないのです。
そこにあるのは、万世一系の天皇を戴き、長い歴史と固有な文化を持つ国。そういう国に誇りを持ち、そういう国を末永く継承していくためにこそ教育はあるのだという思想なのです。
こんな改憲が通ってしまったら、今以上に国のための教育、国家主義的教育が大手を振って罷り通るようになることはあきらかです。

第5 これは憲法改正ではない。憲法に対するクーデターなのです。
まとめましょう。
1 9条の2の加憲。
これは、集団的自衛権行使を合憲とするものです。従って、これは現憲法の平和主義という大原則に反するものですから、現憲法の改正規定によってこれをすることは許されないのです。
2 緊急事態条項。
これは、内閣や首相に対し、事実上無制限の緊急政令権(緊急命令権)を与えるもので、三権分立という大原則に反するものであり、従って、これもまた、現憲法の改正規定によってすることは許されないのです。
3 合区解消。
これは、投票価値の平等原則すなわち基本的人権という憲法の基本原則に反するものです。やはり、これも憲法の改正規定によってすることは許されないのです。
4 教育。
これは、尊厳を持つ個人の自由で自主的な学びの保障としての教育を、国のための教育=国家主義的教育に変えてしまおうとするものですから、国民主権、基本的人権などの基本原則に反することになり、やはり、これも、改正規定によってすることは許されないのです。
結局4つの改憲案の全ては、憲法の基本原則に反するものであり、従って、ここで自民党が成し遂げようとしていることは、単なる「改正」ではなく、憲法の基本原則そのものの破壊すなわち憲法に対するクーデターなのです。

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末期症状あるいは断末魔の悪あがき

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加計学園が、愛媛県文書に、2015年2月25日に加計と安倍首相が15分ほど面談し、首相が「そういう新しい獣医大学の考えはいいね」とコメントしたとの記載が残されていることについて、これを、行き詰まっていた獣医学部設置を打開するために、当時の担当者が愛媛県などに対して「実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えてしまったもの」と発表した。

ばば:もう、何でもありね。むちゃくちゃじゃない。
じじ:全くだ。愛媛県文書が公開された当初、加計学園は、「総理と(記載されている日に)面会した事実は無い。」とのみコメントしていたのに、25日になってそれまで、味方のはずの今治市長までが市職員が学園から面会について聞いていたと明かにしたこともあって、県職員が作成した文書にはっきり書かれている事実を否定しきれなくなった途端の、このコメントだものね。文書に書かれている事実は否定しない、でもそれは、うちの担当者が、獣医学部新設を進めるために、実際には無いことを県や市に報告してしまったのだなんて、どこまで国民を馬鹿にすれば気が済むのか。
刑事ドラマだったら、こんな言い逃れを容疑者が口にした途端、刑事が、机をバンッと叩いて、「ふざけるんじゃねぇ」って怒鳴っているところだろうね。
ばば:こんな見え透いた嘘でも、まかりとおると思っていて、しかも、4割の国民が、これをまかり通らせているっていうことが、怖いよね。
じじ:これも、安倍に言わせると「加計学園の担当者の方が、愛媛県や今治市に対して誤った情報を提供したという点に関しましてはですね、これはまことに遺憾と思う次第ですが、私が直接関与していないということは、これはもう、今回の加計学園の説明でも、改めて明かになったわけであります」という「丁寧な説明」になるんだろうね。
ばば:こうまでして、自分の地位にしがみついていて、恥ずかしくないのかしら。

じじ:悪いことは、全て、籠池、藤原、佐川、柳瀬、加計、谷、etc、etcに押しつけてね。安倍の行くところ、後に残るのは、忠実な番犬たちの死屍累々だね。文字通り「一将功成りて万骨枯れる」を地で行ってるよね。