思いが届かない裁判ー思いを受け止めない裁判

20150804_070529

この1ヶ月半ほど大量の書面作成などに追われて、土日も休めない日々を過ごしていました。このため、ブログの更新がすっかりおろそかになってしまい、7月の更新がゼロであったことも、昨日、仲間から指摘されて初めて気付いた次第です。
ところで、大量の書面作成の中の1つの離婚事件についてお話ししてみたいと思います。
この離婚事件は、共働きの夫婦の、夫が、結婚以来、家事をまともに負担してくれずに、自分の世界に閉じこもっていて、妻が家事や育児でどれほど大変な思いをしていても「我関せず」という態度を続け、それだけでなく、家計費もまともに負担してくれなかったというケースです。長年に亘る夫のこういう態度の結果、妻は、うつ病に罹患してしまっていますが、夫は、妻のうつの症状が重篤で、家事や育児をするにも、文字通りはいずるようにしていても、「また仮病をつかっている」と冷淡な態度を続けていたのです。妻は、そうした中でも、両親から贈与されたお金を大切に守り、家計費や2人の子のための費用等を負担した残りの自分の収入も、爪に火を灯すようにして、老後のために貯えてきました。こうして現在妻の手元には、両親から受けた贈与分も含め、可成りの金額の財産が残っています。他方、夫の方は、家計費をまともに負担しなかっただけでなく、自分の収入は、自分だけで頻繁に行っていたスキー旅行などの費用や、自分の趣味などに費消してしまっていたため、現在夫の手元に残っている財産は、妻のそれの半分に満たないものとなっています。従って、このケースでの主な争点は、2つになります。1つは、離婚原因は何か、夫に慰謝料支払いの義務は無いのかであり、もう1つは、離婚にあたっての財産分与をどう考えるかです。この内、離婚原因は、「婚姻を継続しがたい重大な事由」(婚姻関係の破綻)になります。問題は、「破綻理由」あるいは「重大な事由」は、10数年に亘る夫婦関係で、毎日毎日続いた上記のような夫の態度の積み重ねの結果であり、従って、これをある日ある時の単発的な出来事によって説明することは到底不可能であって、10数年間に亘る妻の辛さ、苦しさ、その挙げ句うつ病にまでさせられたことをきちんと法廷の場に示すには、10数年間の夫婦関係の実状について、可能な限り具体的に主張していくことが不可欠だという事実です。また、そこで主張する具体的事実のほとんどは、夫と妻しかいない家庭内といういわば密室で起こっているため、妻の主張する諸々の事実を直接証明する客観的な証拠は無いことも問題となります。このケースに限らず、「婚姻を継続しがたい重大な事由」を理由とする離婚請求では、多かれ少なかれ、同様の問題がそこにはあると言っても過言ではありません。要するに、こうしたケースで、裁判所に求められているのは、「客観証拠が無い」という杓子定規な考えで、当事者の主張を切り捨てるのではなく、双方当事者から、十分にその言い分を聞き、その結果と、少ないとは言え、多少は残っている客観証拠(ほとんどは事実を直接証明する直接証拠ではなく、事実があったと判断しても矛盾は無いと感じさせる間接証拠ですが)とを注意深く対比してどちらの言っていることに合理性があるかを判断するという態度にほかなりません。言い換えれば、当事者の思いをしっかりと受け止める裁判ということになります。かってビックコミックに連載された「家栽の人」に描かれたような裁判といえば、分かり易いかと思います。
しかし、現実の裁判は、これとはほど遠いものとなっています。

20161027_162415
平成15年に「裁判の迅速化に関する法律」が成立してから以降、裁判所は、まるで「迅速化」を自己目的とするように、当事者の主張を制限したり、証人調べの時間を短縮するようになっています。このケースでも、両当事者が法廷で供述する時間は、それぞれ主尋問20分、反対尋問20分とされました。僅か20分では、10数年間の積み重なった思いの数々を話すことなど土台不可能です。 その結果、原審判決は、妻の主張する離婚請求は認めながら、離婚事由(=慰謝料請求の根拠となる事実)については「妻の主張を裏付ける客観証拠は存在しない。」として、請求を認めませんでした。しかも、裁判所は、妻が「夫が、(家事・育児でやってくれたことは)〇〇程度でしかない」としたことを捉えて、「夫が〇〇をしたことは妻も認めていることからして、夫が全く家事・育児に非協力であったとは認められない」としているのです。そこにあるのは、毎日の家事・育児がどれほど膨大なものであるかについての、全くの無理解です。
女性の地位の向上が叫ばれて久しいとは言え、まだまだ家庭における女性(妻)の地位は、夫と対等とは言えないのが現状で、妻は、「私は、女中になるためにこの人と結婚したのでは無い」という思いを抱きながら、それでも子どものため、そして家庭を守るため、仕事で疲れた身体にむち打って家事・育児を担っています。熟年離婚の多くは、そうした長年の苦痛や苦労、辛さが積み重なった結果として妻から申し立てられることが少なくありません。しかし、そうした離婚請求に対し、裁判所が、上記のような姿勢で判決を書くのでは、ほとんどのケースで、女性(妻)は、長年の苦しさ、辛さを聞き届けてもらえず、従って苦労が報われずに終わります。これでは「女性の地位の向上」など絵空事です。女性の地位の向上のためには、何よりも、女性を1個の独立した人格を持つ個人として、男性同様に、その尊厳が守られるべき存在として捉えることが必要であり、そうであるなら、女性を家事奴隷のように扱う関係が、夫婦の間でいささかでもあってはならないという明確な視点を持つことが、裁判所には求められているはずです。しかし、残念ながら、現在の裁判所は、そのような視点を明確に持って、腹を据えて当事者の夫婦関係の実状をしっかりと見極めようとするのではなく、「迅速化」を何より優先する余り、当事者の声に十分耳を傾けようとしないのです。
そして、これは、実は、ここで取り上げた離婚事件だけのことでは無く、刑事事件でも、相続事件でも、一般の民事事件でも、一様に「迅速化」のかけ声の下事案の吟味がおろそかにされ、表面的・形式的な審理が罷り通るようになっているのです。20160523_143721

コメントを残す