高い支持率の謎

 安倍首相の退陣から菅政権の誕生にいたるこの国の動きについて、前川喜平さんは「日本国民は蒙(もう)昧(まい)の民か」と書き(9月13日東京新聞「本音のコラム」)、高橋純子さんは、菅氏を次の首相に選んだことをさして「すがすがしいほどおめでたい」と書き(同日朝日新聞「社説余滴」)、浜矩子教授は、菅首相を奸(かん)佞(ねい)・冷酷と手厳しい評価をしています(同日東京新聞「時代を読む」)。また小林正弥教授は、「非民主主義的な政権移行」と書いています(9月16日「東京新聞」)。
 これらは、いずれも菅政権の誕生を好ましくない出来事として見る立場からの指摘です。
 しかし、他方で、世論調査では、内閣支持率は36.0%から56.9%に、また、「次の首相にふさわしい人」が、菅義偉14.3%から50.2%にそれぞれはねあがり、更に菅政権の正式誕生後には70%を越す歴代3位の支持率となっています。
森友・加計・桜・黒川検事長・無為無策のコロナ対策・苦しむ国民を救うのではなくアベノマスク配布事業にみられたような電通・パソナなどお仲間たちへの利権の供与などなど、「腐っている」としかいいようがない政権のむちゃくちゃで末期的な様相に、あきれ、怒り、うらみをつのらせていたはずの国民が、わずか1週間や10日ほどの間に、コロッと考え方を変え、「(安倍政治の)交代ではなく継承だ」と公言している菅政権を熱烈に支持しているのです。
 前川さんや高橋さんの「日本国民は蒙昧の民か」や「すがすがしいほどおめでたい」は、こうした事実への驚きや呆れとでもいう印象を含んだものでしょう。
 どうして、こんなことになってしまうのでしょうか。
 安倍首相の退陣がささやかれはじめた8月始め頃、退陣に期待する声がありました。だから、実際に安倍首相が退陣したときには、「これで少しは良くなるのではないか」という期待を抱いた人も少なくないだろうと思います。
 そうであるなら、菅氏がどのようにして選ばれたのか、菅氏がこれまでどんなことをやってきたのかをきちんと見れば「期待」は完全に裏切られていることがわからないはずはありません。
 菅氏の選出は、小林教授が「政権中枢幹部だけで事実上次期政権が決められ、国民世論や一般自民党員の影響力は少ない。国民も党員も軽視されて、まさに非民主主義的な政権移行が進みつつあるのだ」というものです。
 また、菅氏はこれまで、前川氏を「地位に恋々としがみつく」と公然と侮辱し、沖縄県民の意思を無視して「粛々と」辺野古埋め立てを強行し、首相や政権周辺の数々の疑惑を追及しようとする記者を閉め出し、質問には「御指摘はあたらない」「承知していない」などの人を食った無意味な答えで押し通すなどして、徹底して「安倍政治」を守ってきたのです。
 そんな菅氏をなぜ、国民のこれほど多数の人たちが支持するようになってしまったのか。
 自民党国会議員(更には、多数の地方議員たちも)が、安倍政治の継続を支持することは、私には不思議でもなんでもありません。彼らは、7年余の間にジワジワと安倍政治に馴らされ、教化され、多かれ少なかれ安倍政治が私物化した政治の余録にあずかってきたのですし、政権のいいなりにならなかった溝手議員のような人は、その人を蹴落とすために河井案里被告に1億5000万円もつぎ込んでなりふり構わない選挙をしたことに典型的に表れているように政権のいいなりになる議員と交代させられてきたからなのです。かって私は、こうして自民党が、いつのまにか日本会議系の議員たちで埋め尽くされようとしているという実態を「ホラーの定番 今ここにあるリアルなホラー」(2015年3月)としてこのブログに書きましたがあれから5年経って事態はより深刻になっているということなのでしょう。


 問題は、国民です。前川さんも、高橋さんも、国民の豹変ぶりに驚いているのです。
 電通やら御用マスコミが、洪水のように垂れ流しているパンケーキだの苦労人だのという話がそれなりに、「人を疑うことをしらない善良な国民」に影響を与えていることは間違いないでしょう。
 しかし、それにしてもたかがパンケーキの話で、赤木さんの自死という事実を鼻先であしらう菅氏を「ほれたかもしれない」などとなるものだろうか。
 この点について、宮台真司氏は、「見たいものだけを見る。安倍政権で加速した日本の政治の傾向です。」「大半の国民も見たいものだけを見てきました。国民が悪いのだから、安倍首相が辞任しても、日本社会が変わるはずもないでしょう。なぜ国民がこうなのか。僕は自意識がキーワードになると考えています。」として、イギリスの社会学者ジョック・ヤングの「疑似包摂社会」という概念を紹介しています(9月15日、朝日新聞「耕論」)。要するに格差や貧困があっても、それを個人が感じづらい社会であり、本当は経済的に苦しいのに、自意識のレベルでそうではないことにする。富者も貧者もスタバでコーヒーを飲み、スマホをいじる。格差を見ないで済むのです。
 これは、8月17日にこのブログで引用した中村文則氏の小説の中で国民が蒙昧の民(チンパンジー化)になる鍵として指摘されている「半径5メートルの幸せ」と同じ問題の指摘ではないでしょうか。
 安倍退陣の時に抱いた「期待」。その「期待」を真実として見ていたいから「期待」を裏切る事実には目を向けず、「期待」に叶いそうなマスコミ(御用マスコミなのだが)が提供してくれる事実(数々のつくられた美談)のみを見る。
 安倍政治がひどかっただけに、そこから脱することへの期待も大きく、それゆえまた、マスコミによって作られた虚像にすぎない「期待の担い手」への支持が集中するのではないでしょうか。
 そうだとするなら、かって安国寺恵瓊が信長を「高転びに転ぶ」と評したように、虚像を一つ一つはがし、本当の姿を明らかにして「王様は裸だ」ということができれば、政権を倒すことが可能なはずです。
注:蒙(もう)昧(まい):ものごとの道理や筋道をきちんと理解できないこと
:奸(かん)佞(ねい):心がねじけて悪賢いこと

高い支持率の謎」への1件のフィードバック

  1. スガがアベを継承すると言いながら、たくみにアベではないことを印象付けていることが、アベでなければいいという人たちの期待をも取り込んでいるような気がします。
    出自、性格、規制改革(うんざり!)、縦割り排除、電話料金、、。
    「国民のために働く内閣」なんてふざけ切ったキャッチコピーすら有効になっているのが、メデイアも含めて恐ろしいです。

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